※原作・パラレル。古典的SFテイスト、細かいツッコミは謹んでお受けします・・・
アンドロイドは赤獅子の夢を見るか?
ぱちんと音がして腹部の蓋が閉じられた。蓋はしっかりはまり込むと周囲の毛に埋もれて外からはすっかり見えなくなる。
「さ、これでよしっと。」
久美子はオイルで汚れた手をタオルで拭うと、横たわった毛むくじゃらの身体の首の当たりに手をやって首輪の下に巧妙に隠してある起動スイッチを入れた。ぶーんと微かな音がして、ぴくりとも動かなかった身体が身震いすると、次の瞬間、何事もなかったかのように起き上がった。
『うぉん!うぉん!』
「よーしよし。いい子だぞ、富士。」
久美子が頭を撫でてやると、そのロボット、土佐犬の黒田富士は嬉しそうに尻尾を振って元気に吠えた。馬のようなさらさらの尻尾は赤いリボンでまとめられて、それが尻尾を揺らす度に跳ね回って愛らしい。元気な姿を見て久美子はほっとした。
「お嬢、治りましたかい?」
「あ、京さん。ああ、ちょっとばかし手こずったけどね。ほらこの通り。」
久美子は額の汗を拭うと、縁側に立ってこちらを見ている若頭の京太郎に富士を示す。
「なんもしてねぇのに突然ひっくり返った時にゃ、今度こそ駄目かと思いやしたがね。どうしてなかなかしぶてぇな。原因はわかったんですかい?」
「うーん、やっぱりどうも防水が甘いみたいだね。この前のときもそうだったけど、ロジックボードに焦げ痕が出来てるんだよね。アース端子に錆が出てその所為で放電するかららしいんだよ。防水対策は随分やったんだけどね・・・」
「こいつももう、ここに来てから随分経ちやすからねぇ。」
「うん、今のところ毎日バックアップを取るようにしてるから、なんかあっても復旧は出来るんだけど・・・」
「本体の傷みはどうしようもない、ですかい。」
「そうなんだよ・・・やっぱ、この身体に入っててこそ『富士』だと思うんだよね。だから、本体が壊れたらもう・・・」
久美子は富士の頭をぐしゃぐしゃ撫でてやりながら寂しそうに言った。
「ま、労ってやりましょうや。」
「うん・・・そうだね・・・」
この土佐犬ロボット、黒田富士は、黒田一家の数えて六代目の「土佐犬」だ。初代と二代目の黒田富士は本物の「生きた」土佐犬だったと言う話だが、久美子はロボットではない土佐犬なんて生まれてこのかた一度も見たことはなかったし、犬どころか人間以外の「生きた」動物などほとんど見たことはないと思っている。
街中でも郊外でも、動物の姿は見ることが出来る。上流家庭では何らかの動物を飼うと言うのはステイタスであったし、管理された緑地や水源地に行けば相応しい生き物の姿があった。しかし、誰も公言はしないが、大方はこの富士の様に精巧に作られたロボットであるのは皆が知っていることだった。この時代、人間以外の生き物はひどく稀少なのだ。
中には本物の「生きた」生き物も居るのだろうが、あいにくと久美子はそれを見分ける方法は知らない。本職のロボット技術者でもない限り、わかる人間はいないだろう。
久美子は、庭木の向こうの青空を見上げた。
今日の気温は23℃、南西の風2mで、雨の予定はない。
ほとんど枠のないドームの透明な隔壁を通して見える青空は、いつもよりも澄んでいるとみえて、幾本もの軌道定点エレベータのチューブがきらりと輝いて遥か上空まで伸びているのがくっきりと見える。その行き着く先には、無数のプラントコロニーが浮かんでいるはずで、人口の八割を賄うだけの食料と工業製品の生産が行われている。
人々は完全にコントロールされたドーム都市に住み、安全で快適な暮らしを営んでいる。各地に点在するドーム都市は地下シャトルで結ばれていて互いに行き来は出来るが、砂嵐が吹きすさび、昼は50℃、夜は氷点下まで気温が下がる過酷な砂漠が広がるドーム外に好んで出る者は居ない。
久美子は大きく伸びをすると、京太郎を振り返った。
「あー、座り込んでたら肩が凝ったよ。そう言えば、昼ご飯は?」
「お、そうそう。もうすぐ支度が出来やすよって、呼びに来たんでした。」
「なんだ、そうか。じゃあ早速・・・」
久美子が縁側へ上がりかけた途端、どたばたと足音がして表の方から若松が駆けてくるのが見えた。
「お嬢っ!てぇへんですっ。てつとミノルの奴が、妙なもん拾ってきやがりました!」
何に驚いているのか、さっぱり要領を得ない若松の話を聞き流して、久美子と京太郎は急いで事務所に行ってみた。
「で、その妙な拾いもんてなどこにあるんだい?」
そう聞く久美子が若松の指差した先を見ると、赤い髪の端正な顔をしたひとりの少年がすやすやと寝息を立てていたのであった。