ドラマ・卒業後、お付き合い前。久美子さんは赤銅に務めてます。



二月十四日



「なー、頼む!この通りだ!」


「・・・・」


拝むように頼み込まれて俺はため息を吐いた。


この押し問答を始めてから一体どのくらい経ったのだろう。ヤンクミは手を替え品を替え、思い付く限りのアメとムチで俺を説得しようとしている。


「なぁ・・・ダメか・・・?」


もう何度目か判らない上目遣いでお願いされるが、そのくらいでうんと言うわけにはいかない。俺はテーブルの上の問題の品をつくづくと眺めてみる。


何度眺めてもそれは変わらない。

目にも艶やかな濃紫に染め抜かれたふんどしだ。


「だからー、きっとお前に似合うと思うんだよー。な、な?だから見せてくれよー。折角お前のために選びに選び抜いた逸品なんだからさー」


「見せるっつったってお前だけじゃないんだろ」


「うん、まあ」


「何人いるんだよ」


「えーと・・・千人くらい・・・?」


「ざけんな」


「じゃあ、五百人にまけとく!」


「まけられんのかよ・・・」


「いや」


「はぁ・・・」


高校時代から思いを寄せている元担任は、こんなものを身に付けて人前に立てと、そう言う無理難題を押し付けてくる。


俺にとってはヤンクミに対する点数稼ぎになるから、大抵の頼み事は引き受けるのだが、今回は自分に対するダメージが大き過ぎる。誰が見ているかも判らない。笑い者になるのは御免だった。


と、今まで項垂れていたヤンクミがすっと立ち上がった。


「・・・そっか。無理な頼みごとして悪かった。忘れてくれ」


「・・・・」


そのまま背中を向けて出て行こうとするから、つられて俺も立ち上がった。心なしか背中に哀愁が漂っているようにも見える。上着を取ってやろうと壁際によった途端、ヤンクミの独り言が耳に入った。


「しょうがない、やっぱり矢吹か小田切に頼むしかないか・・・うん、緒方と風間にも相談してみよう」


「おい、待て」


ヤンクミの口から聞き捨てならない名前がいきなり出たところで、とうとう俺は折れた。もうどうとでもなれ、くそっ。俺はヤンクミの肩に手をかけた。


「わかったよ、お前の言う通りにするから」


ヤンクミの細い肩が震えている。よっぽど思い詰めていたのだろう。泣いているのかもしれない。俯いたままふるふると小刻みに身体が揺れている。


「な、俺が引き受ける。大丈夫だから心配すんな」


「ほんと?」


「本当だ」


「・・・ほんとにほんと?約束?」


「約束だ」


ヤンクミを安心させようと俺は力強く肯定してやった。

こいつが泣くより俺が恥をかく方がましだ。


ましてや、他の男にさっきみたいな頼み方をしに行くことを想像しただけではらわたが煮えくり返る思いなのだ。絶対に許せない。


俺はヤンクミの身体に腕を回してこちらに向かせ、泣いているであろうヤンクミを慰めようとした。ヤンクミは相変わらず俯いていて、震えながら何か言っている。


「ヤンクミ?」


「ふっふっふっふ、」


ふ?

ふ、ってふんどしのふか?

何のことを言っているんだろう。


そう思ったところでヤンクミが顔を上げた。涙を浮かべた顔が見えるだろうとの予想に反して、ヤンクミは満面の笑みを浮かべていた。


「ふーっふっふっふ!いやったー!よっし、これで定員確保だ!やったやったー!」


「おい、ちょ、待てよ!」


「沢田ー、男子に二言はないからな?」


無邪気な瞳を向けられたら、もう文句も出せない。こんなに嬉しそうにはしゃぐヤンクミを独り占めできるんだから、少し位のことはもうどうでも良くなっていた。


「・・・その代わり、バレンタインデーにはなんか寄越せよ」


「なんだなんだ、沢田。お前って奴ぁなんて可愛いんだ。そうかそうか、そんなに先生からの贈り物が欲しいのかー。くぅー、教師冥利に尽きるぅ」


「チョコだぞ」


「大丈夫だ!まっかせとけ。これでも最近は腕を上げたんだからな?楽しみに待っとけよー」


一抹の不安を覚えつつも、バレンタイン当日のデートの約束に浮かれていた、そのときの詰めの甘い自分を殴ってやりたい。


今年のバレンタインデーは土曜日だ。

午前中から色々と準備があるから早めに来て欲しいとの要望で、俺は十時には駅についてヤンクミを待っていた。


風は冷たくとも空はキンと晴れて、早春の日差しが降り注いでいる。商店街はたくさんの人で賑わっていた。商店街のイベントでよく使う多目的ホールのロビーには既に並んでいる人もたくさんいて、開場待ちの間にあれこれ忙しくしゃべっている。こんなに人がいるのか・・・


『第一回・白金町ふんどしファンションショー』


入口脇に立っている看板に書いてある文字を見て、俺は更にが重くなって来た。

しかし、約束は約束だ。ヤンクミに言われるままにモデル控え室に向かい、ドアを開ける。


「どうも・・・」


中には大勢の男たちがそれぞれカラフルなふんどし姿で寛いでいる。

身体のたるんだ年配の男や、中学生らしいのもいて、ヤンクミが是非にと俺に頼み込んだのも無理はない。


「慎の字。お疲れさまっす!」


「あ、てつさん。ミノルさんも・・・どうもご無沙汰してます」


「いやぁ、お嬢が張り切っちまって。初めはこぢんまりやる予定だったんすけど、なんかお嬢があちこち掛け合ってくれて、こんな大騒ぎになっちゃって」


「なるほど」


確かに大人数だ。見回していると懐かしい声がした。


「おんやー?そこにいるのは沢田だなー。君はまた悪さをしに来たのかね。おかしな事をすると退学ですよ、退学」


猿渡の登場に俺はげんなりした。只でさえ下がり気味の気分が更に下がる。


「俺はもう大学出てるし」


「ん?そうだったか。まあいい。あー!お前達まで来たのか!問題を起こすと退学ですよ、タイガク!」


猿渡が俺の後ろを見て驚いた声を出したので、振り向いてみた。

俺よりも少し若い男五人が黒いふんどしを締めて立っていた。それぞれ少しずつ濃さの違う黒で、ワンポイントで入っている銀の縫い取りが目を引く。それも一人一人違うようで、中々凝っていた。


「勘弁して下ぱい」


「・・・・ちっ」


「おれ達、もう卒業してますにゃ」


「そーですにゃん」


「にゃん」


よくよく顔を見ると、見知った顔だ。

何で矢吹や小田切がここにいるんだ?

教え子で頼まれたのは俺だけじゃないのか?


「おー、慎。相変わらずかっこいいなー」


振り向くとクマがいた。


「お前までいるのか・・・」


がっくりしていると、見知った顔がよって来た。


「おーお、慎ちゃん。かっこいー」


「ね、ね、今日の俺、どう?なつみちゃんカッコいいって言ってくれるかなー」


「今日こそ静香ちゃんのハートを鷲掴みー」


南にうっちーに野田までいる。

ちょっと呆けていると、後ろから挨拶が聞こえた。


「沢田さん、お疲れさまっす」


声をかけて来たのは、今ヤンクミが勤めている学校の元生徒で、風間廉と言う男だ。こいつを含めて仲の良い六人組は、よく大江戸の屋敷に遊びに行っているようで、俺も出くわした事がある。


ご丁寧なことにやっぱり六人で来ていて、更に赤銅の後輩達も引き連れて来ているらしい。校章がプリントされたお揃いの赤ふんどしを仲良く絞めている。


「何だコレ・・・」


猿渡に見つかった赤銅連中が説教されているのを呆然と見ていたら、後ろから肩を叩かれた。


「黒崎、お前もか・・・」


にやにやしながら立っていたのは友人の黒崎だった。利休鼠の渋い締め込みがほとんど白に近くまでブリーチした髪によく似合っている。


「ま、下心があるのはお前だけじゃないってことさ」


「はっ。下心とか。バカじゃねぇの」


「すかしてる場合かよ、ほれ」


黒崎が顎で指している方を見ると、篠原がいた。

俺は慌ててそっちへ向かう。あいつまで・・・


しかし、篠原はスーツ姿だ。


「やあ、沢田クン。久しぶりだね。今日は生活安全課の方から応援を頼まれてねぇ。ここの警備係だよ」


紫がよく似合ってるね、とのお世辞を俺は聞き流した。

もう一人知った顔がいたのだ。もの柔らかでハンサムなその男とヤンクミが嬉しそうに話している。


「九条・・・」


「ああ、彼は生徒の様子を見に来たんだね。ほら、今日は女の子もたくさん来るからね」


恋のライバルがまた増えやがった。しかも、元生徒と違って篠原と九条はヤンクミ自身が思いを寄せているのだ。油断できない。


すっかり気をそがれてひとり廊下のベンチで缶コーヒーを握ってぼんやり座っていると、声をかけられた。


「どうしたの?気分でも悪いかい?」


「サイアク」


男の声を聞いてぶっきらぼうに答える。

涼やかな顔をしたこの男は、ヤンクミの目下の王子様、夏目医院の医者野郎だ。


「僕は今日、ここの救急所にずっといるから。どうしても我慢できなくなったら来なさいね」


そう言い残して颯爽と夏目は去っていった。


精悍で野性的な篠原と、穏やかで優しげな九条と、爽やかな夏目と。よくもまあこれだけタイプの違う男が揃ったもんだ。ヤンクミの好みは一体どうなっているんだ、もしかして親切なイケメンすべてが射程範囲なのか。なんて節操のない・・・


下らないことを引き受けた自分に嫌気がさして、俺はそのままベンチに座っていた。ホール内からどっと拍手が聞こえて、どうやらショーは始まったらしい。


「あっ、沢田!こんなところにいた」


「ヤンクミ・・・」


「うん、思った通りだ」


「?」


「似合ってるぞ、それ。やっぱりお前に頼んで良かった」


黙っていると、しみじみとしたヤンクミの声が聞こえた。

思わず顔を見て驚いた。まるで大切なものでも愛でるような目で俺を見ていたのだ。


「お前は色白いし、筋肉も綺麗についてるしさ。きっとこの濃紫が似合うなぁって思ってたんだ。うん、カッコいいぞ、沢田」


「・・・・」


「さ、行こう。今日はお前が主役なんだから」


「・・・俺の替わりなんて他にもいるじゃねぇか、お前の可愛い生徒達が。しかもたくさん」


我ながら言葉に刺があると思うが抑えがきかない。


「お前と代われる奴なんて誰もいないぞ」


「え?」


俺は特別なのか?

お前にとって・・・?


誰より近くありたいと思っていた。

その願いは、叶っていたのか・・・?


呆然としているとヤンクミが俺の手を引いた。


「ほら。お前はお前なんだから。世界中の誰もが、代わりなんていない特別なんだぞ」


だからお前の代わりもいないんだぞ?としたり顔で言うヤンクミの先公面を見て、俺はため息を吐いた。


まあ、こんなもんか。


「オオトリを任せられんのはお前だけなんだからなー!あたしが推薦したんだからびしっと決めてくれよ!」


思いがけない応援の言葉に、


「とーぜん」


しっかり請け負って踵を返す。

カッコいいとこ、見せつけてやんないとな。

列の先頭を走っているのは、間違いなく俺なんだから。



------

ふんどしの日、今度は黒慎ちゃんバージョン。

ちなみにこの後はふたりっきりだと思っていたのに、打ち上げに巻き込まれてがっかりしてたり。


お付き合いありがとうございました!


2012.3.9

双極子拝