ドラマ版・卒業後、お付き合い前。アフリカ設定なし。



鬼は外へと



風呂上がりに上半身裸のまま髪を乾かしていた慎は、ふとノックの音が鳴った気がしてドライヤーを止めた。耳を澄ませてみるが、それ以上何も聞こえない。気のせいだったかと慎はドライヤーのスイッチを入れた。しばらく経って、


ドンドンドン


今度は、ドアを壊さんばかりの大音響で来客が告げられた。慎はため息を吐いた。相手は誰だかわかっている。が、こんな時間、しかも疲労のピークにあるこんな夜は、一人静かに過ごしたいのも事実だった。


少々気が立っていたのもあって、慎は上半身裸のまま玄関に出た。


「えへ。来ちゃった♪」


嬉しそうに両手一杯の食料を掲げてみせた元担任山口久美子は、案の定、はだけられた慎の白い肌を見てたじろいだ。目を白黒させている久美子の顔見て胸のすいた慎は、身体を開いて久美子を室内に誘った。


「どうぞ」


「お邪魔しまーす」


一人暮らしの男の、しかも自分を好きだと何度も言っている男の部屋へ、夜になって平気で上がり込むこの女の考えていることはわからないと慎はいつも思う。誘っているのか待っているのか。普段の言動を思い出して慌てて否定する。それだけは絶対にない。ため息を飲み込んで、ずかずか上がり込んだ久美子と風呂上がりの自分のためにビールを二本もってローテーブルへと向かう。


久美子は、自分の持ってきた様々なものをテーブル一杯に広げてあれこれと説明している。大半は慎の身体を気遣った野菜や果物なのだが、中には、


「・・・後がけマヨネーズ付きたこ焼きポテトチップス?」


「旨そうだろ。ビールのつまみに丁度いいと思って」


「あそ」


「こっちも開けてみないか?」


「・・・小さいチョコビスケット明太いちご味?」


「それ、限定だったんだ」


こんな微妙なものも混ざっているのが常なのだ。食べるものにあまり拘りのない慎でも首をひねりたくなるような品々だが、嬉しそうな久美子の顔を見られるので特に文句を知ったことなどない。


「こっちの包みは?・・・重箱?」


並べられた品々の間に、紙袋に包まれた四角い物がある。慎は何気なくそれを開けてみた。


「ああ。それはてつが作ってくれたんだ。ほら、今日は節分じゃないか」


慎が重箱の蓋を取ってみると、中には何か得体の知れない黒い物体が横たわっていた。


「・・・」


その物体は重箱の横幅一杯に広がり、直径は小指の長さほどだろうか、かろうじて円筒形を保っている、見慣れぬものだ。黒い皮膜は所々破れ、端からは何とも形容しがたい形状と色のぐしゃっとした物がはみ出している。


その正体が不格好な太巻きだと気付くまで、軽く二呼吸はかかったろう。慎は内心の動揺を押し隠すのに珍しく手間取った。節分の日に食べる太巻きを恵方巻きと言うのだと、バイト先の女性達が話していたのを慎は思い出した。そうだ、今日は節分だ。


「ありがとな。一緒に喰おうか」


「うん、今年の恵方はな、えーっと、東の方だ!」


「いい加減だな」


「まあいいじゃないか。一本丸ごと持って食べるんだぞ?」


小首を傾げて言う久美子が可愛くて、慎は微笑んだ。五歳も年上だと言うのに、妙に無邪気に見えるときがあって、それも気に入っている点のひとつだ。


が、いざ食べようとすると。


「わっ!きゃっ!」「うぉ」


きちんと巻けていなかったのか、破れていたからか、持ち上げようとするとぐずぐずと崩れてしまう。何度か試しているうちに、重箱の中身はちらし寿司だと言った方が早い有様になってしまった。


「あれ?おかしいな。もう、てつったら」


「これ作ったの、絶対ぇお前だろ」


「てへ。バレた?」


「バレバレ」


その言葉に、久美子はあからさまにしゅんとしてしまった。その姿を見てしまえば、慎はもう折れるしかない。黙って重箱を持って立ち上がると、キッチンへ立って作業をする。戻ってきた慎の手には、ラップで綺麗に棒状にまとめられた寿司があった。


慎はラップの端をくるりと織り込んで、久美子の手に持たせてやった。


「ほら、これなら喰えるだろ」


もう一本のラップ寿司を持ち上げながら慎が言った。


「ありがとう!さすが沢田だ!」


「いいから、喰うぞ。腹へってんだ」


そう言う慎の耳が赤く染まっている。


「えへ。じゃあ頂きまーす!」


久美子の言う東の方を向いて、同時にかぶりつく。味の方は見た目ほど壊滅的でもなく、むしろ、


「旨い・・・」


「そうか?えへへ」


慎の感想は素っ気ないが、休まずに口が動いているから久美子は嬉しくなった。にこにこと慎を見ている。


「んだよ」


「いや。そうやってお前がメシを旨そうに食べている姿を見ると、なんかほっとするなあって」


「ばーか」


慎の方も太巻きならぬラップ巻を食べる久美子から目が離せなかった。正確に言うと、その口元から、だ。太くて長い形状のものを両手で握りしめて口に運ぶ様は、妙にエロティックだ。おまけにその口はもごもごと蠢いている。


さっさと寿司を食べ終わった慎は、しばらくその姿を楽しんでいた。


「ぷっはーっ、食った食った」


満足そうに腹を撫でる久美子を見て、ついいたずら心が湧いた。たまには据え膳にちょっかいをかけてもいいだろう。手をつけはしないまでも。慎はテーブル越しに久美子の手を取った。そして自分の口元に持っていく。


「沢田・・・?」


「お前さ、節分の夜に男女ふたりで恵方巻きを食べる意味って知ってるか?」


「へ?」


久美子の手をぐいっと引いて、久美子の耳に吐息と共にささやく。


「特別な関係になりたいって意味」


ぼっと音を立てるかと思うほどに久美子の顔が上気した。


「沢田のばかっ。そんなんじゃない!」


捨て台詞と共に久美子の足音が遠ざかるのを聞きながら、慎はため息を吐いた。


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節分の頃に原作版と一緒に書いて、八割ほど書いたところで挫折していたものを引っ張りだして完成させたものです。季節感無視ですみません;


2012.4.21

双極子拝