原作・卒業後、お付き合い前。



鬼は外へと



慎は今、自分の部屋で仏頂面の女を前にして途方に暮れている。


「なんだよ。何か不満なのかよ」


じろり、と言った形容が一番相応しいであろう目付きで慎を睨みながら、そう言ったのは元担任、山口久美子だった。


「・・・とんでもアリマセン、センセー」


「ふん」


慎の返事が不満なのか、素っ気なく返してまた黙り込んでしまう久美子を、はっきりいって持て余し始めていた。


今日は節分、そして現在の時刻は二十時三十分だ。

慎と久美子の前には、重箱に詰められた二本の太巻きが置いてある。久美子がこれらの品を持って慎の部屋のドアを叩いたのは、多分八時ごろだったろう。慎はちょうど風呂から上がったところで、一人暮らしの気楽さから下着の上にバスタオルを羽織っただけと言う気楽な恰好だった。


「・・・よぉ」


こんな時間に誰かとしぶしぶ玄関の扉を開けた慎は、思いがけない相手をそこに見て驚いた。リアクションが薄かったのは、そのせいと自らの恰好を慮ったからだ。しかし、久美子はそうとらなかった。


「なんだよ、迷惑なのか」


「いや。嬉しいよ。寒かったろ、上がれよ」


「・・・お邪魔します」


躊躇いもなく上がり込んだ元担任は、いつもと同じようにきょろきょろと部屋の中を見回して、品定めをするようにあちこちを覗く。


「おい、あんまり覗くな」


「んだよ。なんか見られちゃ困るもんでもあるのか」


「いや別に」


「じゃあいいじゃねぇか」


そんなやりとりもいつものことで、慎はさして気にも止めずに話していたのだったが。急に風向きが変わったのは、デスク上に出しっぱなしにしていた携帯ストラップを見つけられてからだ。


「お、なんか可愛いもんがあるな」


「ああ」


可愛らしいそれは、携帯電話会社のイメージキャラクターを模したもので、若い女の子に人気が高いが、手に入れるのは難しい。慎が友人に頼まれて、伝手を頼ってバイト先で手に入れたものだ。かなりの苦労をして手に入れたにもかかわらず、夕方になって必要がないと言われてしまって、八つ当たり気味に放り出しておいたものだ。


「お前の携帯と会社が違うな。どうしたんだ、これ」


「それは・・・」


言い淀んだのは、決してやましいことがあったからではない。さっと説明するには事情が複雑過ぎるうえ、まず久美子の知らない登場人物の説明から始めなければならなかったからだ。疲れていたのだ。メインではない方のサークルの友人の、先輩のゼミの教授の孫娘が、などと長々話すのはごめんだった。


「なんだよ、説明できないのかよ」


「そうじゃない。人からもらったんだ」


「ふーん。女の子からもらったもの、な」


「・・・いや」


「返事が遅れたな。やっぱ女か。いやいっそイロか」


「イロなんていねぇよ」


「さあどうだかな」


慎は段々と持て余してきた。いくら惚れていると言っても、返答をもらったわけでもないまして付き合っているわけでもない相手なのだ。この携帯ストラップのせいで一日中振り回されたし、腹も減っていた。風呂上がりだからビールも飲みたい。久美子から目をはなして、冷蔵庫からビールを取り出す。一本を久美子に差し出すと、さっさと自分の分に口をつけた。


「ふぅ・・・」


思わず漏らすと、今日一日の疲労がどっと押し寄せてきて、慎はソファ代わりのベッドに背を委ねる。久美子は黙ってそれを眺めると、自分も座ってビールに口を付けた。


しばらくの間、無言でビールを飲んでいた。

重苦しい沈黙を破ったのは、久美子の方だった。手にしていた紙袋から無造作に重箱を出してローテーブルの上においた。


「なにこれ」


思わず言ってしまって、慎はすぐさま失敗を悟った。久美子の眉があからさまに寄せられたのだ。


「・・・見てわかんねぇか」


「太巻き・・・かな?」


「そうだ」


そう言うと久美子はまた黙り込んでしまう。


「喰っていいのか?」


「よくなければ持ってくるはずないだろう」


「・・・じゃあ、遠慮なく」


「待て」


「は?喰っていいんじゃないのか?」


「いい」


「じゃあ・・・」


「待て」


拉致があかない会話に、いい加減嫌気がさしていた慎は、立ち上がって二本目のビールを取りに行く事にした。黙ってキッチンへ向かう慎を、久美子は不満そうに眺めている。


久美子は何がしたいのだろう?

ただ今の時刻は二十時四十五分。

いっそこっちから仕掛けてみようか。

慎は頭の中の「竹男さんファイル」を繰る。


酔いの勢いもあって、半ばやけ気味に慎は久美子の方へつかつかと向かっていった。そしてその勢いのまま久美子の手をぐいっと引いて久美子を立たせる。いくら強いと言っても、間近で立てば上背のある慎の方が優勢だ。ちょっとたじろいだ久美子の腕をすかさず押さえ込んで、上から瞳を覗き込む。久美子の顔にぱあぁと朱がさす。


そして・・・


「ば、ばっきゃろーーーーー!」


絶叫と共にしこたま豆をぶつけられてひっくり返った慎は、久美子訪問の理由をやっと悟ったのだった。


「面白ぇ奴・・・」


口の中で一人語ちて、鳩尾を擦りながら久美子の後を追うべく立ち上がった。

春と呼ぶにはまだ遠い、二月の夜のことだった。


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今頃になってなんですがブログにアップしていたものを再掲。


2012.4.21

双極子拝