ドラマ・卒業直前、おつきあい前。


ここから


緩やかな川の流れがきらきらと春の陽光を跳ね返している。

ようやく萌え出た、まだ柔らかい草達がしっとりと身体を受け止める。

春風に頬をなぶらせるにまかせながら、慎は一人河原に寝転んでいた。


遠くの方から慣れ親しんだ声が聞こえてきて、慎は瞑っていた目を開けた。

「おーい、沢田ぁー!さ、わ、だーっ!おーい!」

声は段々近づいてくる。

どうやら走ってくるらしく、呼び声の合間にハアハアと言う息の音もする。


声の主は、慎の担任である山口久美子のものだ。

慎が学校の行き帰りによくここで時間をつぶしているのを知っていて

わざわざ探しにきたのだろう。話の内容はわかっている。

大学の入学手続きを済ませろと言いにきたのだ。


白金学院一の落ちこぼれクラスの一員であるにもかかわらず、

K大とW大にダブル合格を果たすと言う快挙を成し遂げた慎なのだが、

いまだに手続きを済ませていないのは悩んでいるからなのだ。


このまま目的もないまま大学へ行って、何の意味があるのだろう?

その思いがどうしても消えない。


「はぁはぁ・・・沢田・・・やっと見つけた・・・はぁはぁ。」


慎は自分を見下ろして息を弾ませている担任教師の顔を見上げた。

今の自分が唯一信頼している大人・・・

そして密かに思いを寄せている女・・・

よっこらしょと身を起こしながら慎はわざとぶっきらぼうな声を出す。


「お前、うっせえよ・・・何の用?」


「ああ、お前、今日進路についての面談するって言ってあったろ。

いい加減、卒業後の進路を教えろよ。もう決めたんだろ。」


「・・・大学、行くか行かないか迷ってる・・・

今んところ、大学やめてアフリカに行くって選択肢に魅力を感じてる・・・」

慎の言葉に久美子は驚いた声を出した。


「アフリカ?どうしてだ?あんなに頑張って勉強してたのに。

それにK大もW大も行きたいと思って簡単に行けるような生易しい大学じゃないぞ。

せっかく合格したのにもったいないじゃないか。」


滔々と述べる久美子に対して、慎は挑発するように言う。


「じゃあ聞くけどさ。大学行って何の意味がある訳?」


「え・・・そりゃ、お前・・・」


「目的もないまま大学だけ行って、何となく過ごして『大卒』って肩書きが出来る。

俺が何に変わってなくても世間の奴らはK大卒、W大卒ってだけでもてはやすんだろうな。」


慎の言葉には吐き捨てるような嫌悪があった。


「・・・・」


「俺自身が何か変わった訳でもないのに。白金生って色眼鏡で見てたくせに。

上辺だけ取り繕って、虚飾にまみれて。そんな人生に何の意味があるんだ?」


「沢田・・・」


「ちゃんと目的を持って進路を決めた他の奴らの方が俺より何倍もましな人間だよ。

野田だって南だってウッチーだって・・・

クマなんかもう一人前に店を切り回してんだぜ。」


慎の脳裏には、生き生きと将来の夢を語る級友達が浮かんでいた。

皆は自分のことを優秀で羨ましいと口々に言うが、羨ましいのは俺の方だ。

俺は偶々『お勉強』が出来たに過ぎない。

目的もなくそんなことだけ出来ても意味はない。

俺はなんてちっぽけでみすぼらしいのだろう・・・


慎は挑発的な視線で久美子を睨みつけた。


「・・・他人と比べてもしょうがないだろ。」


久美子の答えは、予想通りのものだった。


「だからって・・・!」


激昂する慎に久美子は淡々と語りかけた。


「お前は野田でも南でも内山でもクマでもないだろう?

お前にはお前にしかない、いい所があるんじゃねぇか?」


「・・・・」


「お前は頭がいい。才能に恵まれてる。

お前にしか出来ないことはたくさんあると思うぞ。

迷ったからって逃げ出すようなマネをするのは卑怯だと思わねぇか。」


「・・・逃げてるつもりはねぇよ。」

だが、そう言う慎の声は弱々しかった。


「それに、高校でしか学べないことがあるように、大学でしか学べない事もあるんだぞ。」


「・・・例えば何だよ?」


「専門知識!」


「んなもん社会に出たら役に立たねぇだろ。

お前みたいに教師になるなら話は別だけど、

なる気はねーし、そもそも向いてないだろうしな。」


投げやりに言う慎に久美子は続けた。


「それに幅広い教養が身に付くんだぞ。」


「そんなもん、それこそ何の役に立つんだよ。意味ねーし。」


「学ぶって言うのはなぁ、ただ知識を詰め込むだけのことじゃないんだぞ。

物事の考え方や筋道の建て方、つまり筋の通し方ってぇのを身につけるってことなんだ!」


「?」


「いっちばん大切な、物の道理ってヤツをちゃーんと使えるようにするために

色んなことを知らなきゃならないんだ。知は力なりって言葉、お前も知ってるだろう?

お前は頭がいい。

誰よりも知恵をたくさん身に付けることが出来る。

誰よりも上手くそれを使うことが出来る。

お前の大切な人たちを誰よりもたくさん助けることが出来る。」


「俺の大切な人たち・・・」


「そうだ。お前の仲間、お前の家族。

残念ながら、お前の仲間達はちょっとばっかり頭を使うのが苦手だろ?」


「ちょっとどころじゃない。」


「む・・・まあな。だから、あいつ等みたいな奴らがちゃんと世の中

渡っていけるように、手助けする人間がいるんじゃないのか?」


「・・・お前と同じように?」


慎は身体を張って3−Dの皆を守り導いてくれた久美子のことを思い浮かべた。


どんな落ちこぼれも決して見捨てようとしなかった久美子・・・

その姿に皆どれほど勇気づけられたことか。

久美子のおかげで3−Dの皆は、落ちこぼれのはみ出しものから

きちんと人生に向かい合える一人前の『男』になれたのだ。


それと同じことを、俺が・・・?

誰かのために・・・?


「そうだ!お前の頭の良さ、ちゃんと使ってやらねぇと可哀想じゃねぇか。」


にっかと笑って励ますように言う久美子の顔を見ながら、

慎は思ってもみなかった道が開けていくのを感じていた。


「俺に、出来ると思うか・・・?」


久美子の答えは簡潔だった。


「おう!」


そうか、俺にも出来るのかもしれない。

何の力もないちっぽけな自分が、誰かのためになることが・・・

心のうちに滞っていた霧が、ゆっくりと晴れていくようだった。


慎は晴れ晴れとした顔を久美子に向けた。


たとえ、世界中のすべての人が出来ないと言っても。

久美子が信じていてくれるのなら、俺にはきっと出来る。


「うん・・・俺、やってみるよ。大学で、俺にしか出来ないこと勉強してくる。」


ようやく聞けた慎の決意の言葉を、久美子は嬉しそうに笑って受け入れた。


「そうか!よっし、頑張れ!これから一杯勉強することあるんだぞー。

大変なんだぞ、すっごく!」


「ぷっ、お前、そんなに大変だったんだ。」


「そうそう、数学の先生になるってぇのに英語だの中国語だの、

たっくさん単位取らなきゃならなくってさぁ!

大体、なんでフランス文学なんかのレポートを何十枚も書かなきゃならないんだ!

それにうちの比較文化学の教授ってのがやなヤツでさ・・・」


楽しそうに大学時代の苦労話を語る久美子を見ながら、

慎はある可能性のことを考えていた。

久美子のそばで、ヤンクミのそばで一人前の男になれたら

その横に立つことの出来るのではないか・・・


慎は、自分がアフリカへ行くことに気を惹かれたのは、

久美子から遠く離れられるからなのだと言うことに改めて気が付いた。

半人前の自分が情けなくて、一人前になるために足掻いているのを

久美子に見られるのが恥ずかしくて、逃げていただけなんだと。


もう、逃げない。

そうしていつか・・・


「だからな・・・聞いてるか沢田、うわっ。」


久美子は急に髪を引っ張られて思わずよろめいた。

慎が久美子のおさげをつかんで持ち上げたのだ。

そのまま口元に持っていってそっと口付ける。


「な、な、なにやって・・・////」


大人びたその仕草に、久美子は思わずどきりとした。


「あははっ。」


「もう!大人をからかうんじゃねぇ!////」


「ははははっ。イテテ、やめろって。あははっ。」



新しい季節がここから始まっていく。

春の土手にふたりの笑い声がいつまでも響いていた。


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ここまでお読みくださいましてありがとうございます。


あの河原で慎ちゃんのアフリカ行きを阻止してみました。

久美子さんから遠く離れなくても、ゆっくり大人になればいいんだよ。

大人になる過程ごと、久美子さんは受け止めてくれるさ。


少しでも皆様のお慰みになれば幸いです。

拍手にオフ会レポートの一部を載せました。

お目汚しですがどうぞ。


2010.3.26    自由投稿ルームに投稿

2010.6.1      UP