※原作・卒業後、おつきあい中。
君の名を
「え?篠原先生?どうしたんですか、連絡下さるなんて珍しいですね。」
土曜日の昼下がり、遊びに来た山口と恋人同士の情熱的なひとときを過ごしてとろとろと微睡んでいた俺は、話声で起こされた。どうやら山口が携帯で話しているらしい。キッチンの方で電話をしている山口の声はくぐもっていてよく聞こえない。
「はい・・・はい・・・ええ。大丈夫です。
・・・いえ、今からでも大丈夫ですよ。ご心配なく。
・・・では篠原先生、後ほど。」
ぼんやり聞いていた俺は、よく知った名前が出てきて突然覚醒する。
篠原先生・・・?
今からって、今から篠原と会うつもりなんだろうか。
篠原は、黒田一家の顧問弁護士を勤めていた男で、昔、俺と付き合う前に山口が惚れていた相手だ。京大卒、ハンサムで背が高くて頭が切れて侠気もあって優しくて、おまけに優秀な弁護士だ。俺が弁護士を目指そうと思ったそもそもの切っ掛けでもある。
俺たちが卒業する少し前に、極道弁護士から足を洗って国に帰ったはずなのに。組長さんから二度と連絡を取るな、と固く言い渡されたと言っていたのに。
わざわざ連絡してくるからには、何か大きな問題でも起こったのだろうか。
黒田一家の存続に関わるような・・・?
それにしても山口は楽しそうに話している。やっぱり七年も思っていた初恋の相手だし、向こうも憎からず思って可愛がっていたようだから、山口の中では「特別」なんだろうけど。今は俺って言う存在があるのに・・・
篠原を見る潤んだ瞳と上気した頬を思い出して俺は不安になった。
頼りがいのある大人の男の篠原を思い出し、自分と比べて暗くなる。
むすっとしていたら電話を終えた山口がこちらへやってきた。
「沢田ー。すまん、ちょっと出掛けなきゃならなくなったんだ。」
「すぐ?」
「悪い、どうしてもって頼まれて。やっぱ恩義があるからさ、頼まれちゃったら行かないわけにはいかないんだよ。」
「ふーん・・・」
「ごめんなー。その代わり急いで終わらせて戻ってくるからさ。
今夜、泊まっていいだろ?」
「ああ。」
「じゃ、夕飯は一緒に喰おう。時間ないからもう行くな!」
山口はいそいそと出て行く。
本当は行かせたくなかったけれど、付き合って一年近く経っているのに元カレですらない昔の男にやきもち焼いているなんて思われたくなかったから、聞き分けのいい振りをして送り出す。
「ちぇ・・・」
もう一度ベッドにごろんと転がると、俺は天井を見つめてため息を付いた。
顧問弁護士になりたいと言っているのに、こんな風に山口は組に関わる事があった時には極力俺を遠ざけておこうとするのだ。頼りないガキの自分が情けない。俺は早くお前に相応しい男になりたいのに。マジで百年かかりそうだ。
しばらく拗ねていたが、こうしていても落ち着かないから俺は出掛けてみる事にした。
歩きながら京さんに電話をしてさりげなく様子を聞き出す。
『お嬢ならさっきばたばた帰ってきて慌てて出掛けてったぞ。なんか急いでる割にゃ着飾ってたな。』
「ふぅん・・・行き先、聞いた?」
『えーっとぉ・・・お、あったあった。白金台グランドホテルだとさ。』
「サンキュ。京さん。」
『おう、今度遊びに来いよ。また一発抜きに行こうぜ。ニッシッシ。』
「行かねぇよ。ってか、またって何だよ。一度も行ったことないだろっ。」
『ガッハッハ、お嬢が怖ぇもんなぁ、慎公は。』
「うっせ////」
電話を切って駅に向かう。白金台グランドホテルなら駅前からバスに乗る方が早い。渋滞のせいで時間がかかったが、三十分くらいで無事にホテルまで着いた。
このあたりにしては広い豪華なロビーには和服を着た大勢の人がいて、何かイベントがあるらしかった。見回すと『呉服・志乃原展示即売会』と書いた看板が立ててあった。それにはさして気も止めず、俺はさてと考え込む。勢いでここまで来たもののどうするかなんて考えてなかった。取り敢えずロビーにはいないから、部屋なのだろうか・・・
部屋の中で山口と篠原が会っている可能性を考えて、俺ははらわたをぎゅっと掴まれたような気がした。どさりとロビーの椅子に腰掛けて脱力する。飲みたくもないアイスコーヒーを頼んで、グラスの周りの水滴が落ちて行く様をぼんやり眺めていた。
「あれ?沢田じゃないか。」
いきなり声をかけられて吃驚して顔を上げると山口がいた。綺麗に化粧して珍しくスーツなんか着ている。篠原と会うためにお洒落したのか?
どうしたこんなところで、と無邪気な笑顔で聞かれて俺は答えに詰まってしまった。
「あっ、あたしに置いて行かれて拗ねてんだろ。わざわざ探しにくるなんて、お前は可愛い奴だなぁ。よし、せっかくだからホテルの飯おごってやるぞ!」
「・・・篠原はいいのかよ。」
「こら、呼び捨てにすんじゃねぇよ。もうすぐおしまいだから、ちょっと挨拶してくるな。ちょっと待ってろ。」
「待て、俺も行く。」
「へ?ま、いいや。じゃあ来いよ。あ、丁度先生が来た。」
山口が後ろを見て言うから振り返る。高そうな着物を着た年配の女性達が歩いているだけで他には誰もいない。何を言ってるんだと思っていたら、山口はそちらへ向かって手を振っている。どうやら手招きをしているようだ。
「篠原先生!」
そばに人がやってくる気配がする。行くとは言ったものの顔は会わせづらかった。ガキが大人の男に嫉妬して彼女の後を付けて廻るなんてみっともねぇし。
「久美ちゃん、ご苦労様。」
「篠原先生もお疲れさまでした。盛会でしたね。」
「ほほほ、久美ちゃんのおかげで助かったわ。」
え?と思って顔を上げると、先ほどのグループの中心にいた上品そうな年配の女性が山口と話していた。
「こら、沢田。お前も挨拶しろ。」
はしっと叩かれて立ち上がると頭を下げる。
「どうも。沢田慎です。」
「あらあら、はじめまして。篠原です。今日は久美ちゃんを借りちゃってごめんなさいねぇ。おデートだったんでしょう?」
「いえ、大丈夫です・・・」
「ま、久美ちゃんと同じ事言うのねぇ。ほほほ、仲のよろしい事。
今度、久美ちゃんと一緒に遊びにいらっしゃいな。ではね、ごめん遊ばせ。」
「どうも・・・」「先生、さようなら。」
ふたりの挨拶を受けて『篠原先生』は向こうで待っていた他の女性達のところへ戻り、やがて行ってしまった。その姿を並んで見送って、山口が俺の方を振り向く。
「で、お前なんだって家で待ってなかったんだ?」
「それより、あれ誰?」
「篠原先生か?あたしの着付けの先生だ。」
「着付け?」
「そうそう。最近、和服着る機会増えてきたんだけどさ、いつも振袖って訳でもないから着付け代が勿体なくてな。自分で着付けられるようにって、康絵姐さんに先生紹介してもらって習い始めたんだよ。」
「へぇ・・・聞いてなかった。」
「そうだっけ?まあいいや。で、今日は先生の呉服店の展示会でさ、今朝になって急に手伝いにくるはずだったお弟子さんがふたりばっかり都合が悪くなっちゃったとかで、あたしが助っ人を頼まれたってわけ。」
「そっか。」
「そのお弟子さんて言うのがさ、康絵姐さんの店の女の子なんだよ。だから余計に断れなくってさ。ごめんな。」
「別にいいけど。」
俺はそばにある小さな身体に手を回して抱きしめる。
「わわっ////沢田、沢田っ、公衆の面前で何しやがるっ////」
じたばた暴れるけど、なおも力を込めてぎゅっとしがみつく。
頭を薄い肩先に埋めて、温もりと香りを目一杯貰う。
「どうした・・・ん?」
俺の様子がただ事ではないと解ったのだろう。山口はおとなしくなってぽんぽんと俺の頭を優しく叩きながら優しい声で聞いてくれる。
「篠原に会いに行ったのかと思った・・・」
「お前、篠原先生って、小樽の方だと思ったのか。」
くすりと笑って山口が聞くから、声が出せなくて小さく頷く。
「あたしが、先生に会いに行ったと思って追いかけてきたんだ。」
「・・・悪りぃかよ。」
「いいや。そんなことねぇよ。」
「ごめん、俺、情けねぇな・・・誤解だって解って心底ほっとしてる。お前が行っちまわなくて本当に良かった・・・」
そう言ってもう一度腕に力を込める。ふいに、山口の腕が俺の背に回された。そのままぎゅっと抱きついてくる。
「山口・・・?」
「沢田・・・いや、慎。」
名前を呼ばれてどきりとする。
「慎、ごめんな。あたしはまだお前を不安にさせてるんだな・・・あたしは、こう言うのお前が始めてだからさ、どうしていいかなんて解んなくて。いっつもお前に心配かけちゃうのな。ほんと、ごめん。可愛くない彼女でさ。」
「そんな事、ないよ。」
「ふふっ、お前も苦労するなぁ。」
最後にもう一度ポンポンと俺の背中を叩いてくれて山口は俺の腕から抜け出すと、さて飯だ飯なんて言って俺を引っ張って行く。
俺こそ、情けない彼氏でごめん。
頼りないガキでごめん。
自信が無くていつも思い惑っている俺だけど、必ずお前が気が付いて手を差し伸べてくれるから、俺はお前についていける。
俺が自分の足で追いついて、お前と並んで歩ける日まで、もう少しこの手を引いていて。
きっと、追いつくから。
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ありがちなネタですみません(汗)。
一年も付き合って深い関係にもなれたのに、まだ捨てられるかもとか怯えている、徹底的にへたれな慎ちゃんです。この場合、久美子さんが男前だと慎ちゃんも安心ですよね。
一人前になれるまで、もう少し甘えてていいんだよと言ってあげたい(笑)。
おつきあいありがとうございました。
2010.6.22
双極子拝