「あら?」


裏口から今日の分の野菜を運び込んでいた由梨子は、飯場の水道栓の脇でびしょ濡れになりながら作業をしている男に気が付いた。


作業員ではない。

なにせこんな山奥の工事現場だと言うのに、背広に革靴姿なのだ。

草臥れたスーツは泥に汚れ、地味にまとめてある髪は濡れて乱れている。そろそろ秋も深いと言うのに、額には汗が浮かんでいた。


「あ、どうも。」


じっと立って見ている由梨子に気が付いた男は顔を上げると、笑顔で挨拶して来た。

真面目で人の良さそうな人だな、と言うのが由梨子の第一印象だ。


「あー、ヤマちゃん。ごめんねぇ、変な事頼んじゃってさ。」


そこへ食堂で働いている渡辺が顔を出した。


「あ、おばちゃん。」


「あ、渡辺さん。直りましたよ。」


ヤマちゃんと呼ばれた男は立ち上がるとパンパンと手を払った。丸顔に太めの体躯で独特の愛嬌があって、由梨子は何となく微笑んだ。


「ああ、すいません。お嬢さんの前でこんな汚い格好で、失礼しました。」


由梨子の笑顔に気が付いた男が照れくさそうに言うから、由梨子は慌てて手を振った。


「いえ、こちらこそすみません。不躾にじろじろ眺めてしまって・・・////」


「ありゃ、由梨子ちゃんてば。ヤマちゃん見て赤くなってるよ。」


「やだ、おばちゃん。そんなんじゃありませんっ。」


「まあまあ。こんな好青年、ここらには滅多にいないからねぇ。あたしもあと十年若かったら、口説いてるわよぉ。あっはっは。」


由梨子は礼儀正しい青年を不躾に見ていた事を恥じただけだったが、渡辺のおばちゃんは許してはくれず、しきりに由梨子をからかう。そろそろ困りはじめた時に、ヤマちゃんが助け舟をだしてくれた。


「じゃあ、僕は仕事がありますので、これで・・・」


「あらやだ。ヤマちゃん、一杯飲んでってよ。お礼に、ね?」


「いえいえ、車ですし、仕事中ですから。」


「あらそう。もう、真面目なんだからぁ。」


「ではまた。」


ヤマちゃんは由梨子にも丁寧に一礼すると、すたすたと行ってしまった。

まるっこい身体付きにも関わらずヤマちゃんは軽々と脚を運んで行く。その後ろ姿を由梨子は見送った。それは彼女にとって好もしいものだったのだ。


後で聞いた所によると、市の水道局の職員だそうで、ダム工事の検査や進捗のチェックに時々来るとのことだ。



その言葉通りよく気を付けて見ていると、ヤマちゃんは本当にちょくちょくやって来ていた。書類の束を持って工事現場を走り回っている事もあれば、現場監督と深刻そうな顔をして話し込んでいる事もあった。そしてあの日以来、ヤマちゃんも食堂に顔を見せるようになったのだ。