原作・卒業後、微妙な駆け引き中。



縮緬細工



不意に木立が切れて視界が開けると、海に浮かぶ富士が見えた。

空は青く澄んでいるのに、中腹には雲がかかり、その所為で山はまるで重さのないものの様に浮かんで見えるのだった。


「うわぁ・・・」


久美子は一目見た途端、歓声を上げ、それきり黙り込んでしまった。感動のあまり声が出ないらしい。きらきらと目を輝かせて景色に見入る久美子の横顔を見て、慎はここへ来て良かったと心から思った。


カーブの先に見晴し台があるのに気が付いて、慎は車を停めた。


「降りてみようぜ。」


「ああ。・・・・うわぁ、すっげぇ・・・・」


目の前一面が海だった。

手すりの向こう側は崖になっていて、山の樹々の梢も遥か下にある。右手にゆるやかな曲線を描いて岬が突き出し、遥か下方で断崖絶壁が波に洗われている。久美子は手すりを掴んだまま瞬きもせず、じっと動かなかった。頬が上気して、少し開いた唇からわずかに覗く舌が色っぽい。


慎はその横顔を見ながらそっと近づいて久美子の肩の後に手を回した。その手は躊躇いがちに何度も近づいたが、結局肩に降ろされることはなかった。慎が手を下ろして拳を握りしめたことすら久美子は気付かなかった。


ふたりの関係は、今のところ元担任と元生徒と言うには親密な「友人」と言った所だ。高校を卒業して、慎はすぐに久美子に告白をした。それは久美子に思った以上の衝撃を与えたらしく、しばらくは電話すら出来ないような状態になってしまった。


下手に押して何もかも失うよりはと慎は方針を変え、久美子を驚かさないよう「男」の部分を極力見せずに付き合いを続ける事にした。そうなると生徒思いの久美子のこと、たちまち元の担任の顔を取り戻し、そして元の様に担任らしからぬ顔を取り戻した。


久美子は自分をどう思っているのか・・・

嫌われてはいないと思う。

信頼もされていると思う。


誘えばどこへでも付き合ってくれるし、ふたりで遠出もするし、黒田で泊まる時には雑魚寝もしたりする。慎の部屋にも拘りなく上がり込み、寛いでいるように見える。スキンシップも高校時代よりも増えて、慎を居たたまれない気持ちにさせるときもある。まあこれについては男として見られていないためなのかもしれないが。


この夏休み、慎は思い切って久美子をドライブに誘ってみた。

駅でふと見かけた観光ポスターに感じるものがあって、進行しない関係を一歩進めてみる切っ掛けにしてみようと思ったのだ。


で、ふたりはいま陽の煌めく海を臨む高台で、景色に見入っていると言う訳だった。


惚けたように富士に見入っていた久美子が不意に我に返った。


「さ、沢田。おい、なに見てんだよ////」


「ん、可愛いなと思って。」


「ばか、臆面もなく言うんじゃねぇ。」


拗ねたような口調で言うくせに、その顔が真っ赤でなおかつちっとも嫌がっていないことを慎はちゃんと見抜いていた。もう少し欲張ってもいいのかもしれないな・・・


「さ、目的地まであと少しだ。行こうぜ。」


「目的地?」


「そ。着いてからのお楽しみ。」


ほどなく車が停まったのは、岬の突端に立つ瀟酒な建物の前だった。大勢の人で賑わっている。慎は久美子を促して中へと入って行った。


「へぇーっ。面白そうなもんが一杯売ってるな!」


久美子は子供の様にはしゃいであれこれ物色している。


「こっち。この奥が記念館になってるんだ。」


「記念館?」


「そ。見てみろよ。」


「わぁ・・・」


ひとこと言って絶句した久美子の目の前には、素晴らしい世界が広がっていた。先ほどよりも更に惚けたうっとり顔で看板に見入っている。


「ここらは清水の次郎長親分の縁の地なんだよ。で、こんなものがあるってわけ。入ってみる?」


「うん!もちろん!」


浮き浮きしていた久美子はさりげなく慎が入場券を買ってくれたのにも気が付かず、夢見心地で展示室へと入って行った。



「はぁ・・・素晴らしかった・・・」


二時間以上かけてじっくりゆっくり記念館を見学した後、慎は久美子を誘って喫茶コーナーへ行った。流石に茶の産地だけあって、さりげなく出された煎茶が美味しかった。


「この後さ、土産物屋を見てみないか?」


「おう!おじいさんと家のもんへなんか買って行ってやろう。」


賑やかなショップ内を見て歩くうち、色とりどりの何かが天井から下がっているコーナーに気が付いた。近寄ってみると細いひもに小さな縮緬細工の様々な人形がぶら下がっているのだった。一本は1メートルくらいだろうか。そこに間隔を空けて5センチほどの小さな人形や動物、野菜や果物などが数個取り付けられている。何本か一緒に吊るようになっていて、華やかなのに雅やかでとても可愛かった。ここら一帯では伝統的な吊るし雛と言うものだそうだ。


「わーっ、これ可愛いなー。」


「気に入ったなら買ってやろうか?」


「え、いいよいいよ!すっごく高いもん、これ。」


「別に構わないぞ、これくらい。」


「だーめ。脛かじりのくせに無駄な金を使うんじゃない。」


「・・・」


「んな顔すんなよ。・・・あ、金魚!これ可愛い!」


慎が久美子の指す先を見ると、縮緬細工の金魚だった。小さな鈴が付いていてストラップになっている。


「な、これ買ってくれよ。」


久美子が慎にそう言ってきた。慎としてはさっきの事で気を使ってくれたんだとわかっているが、あまりに安いので素直に頷けない。


「・・・・」


しばらく黙っていた慎は、ふと脇に張ってある紙に気付いて気を変えた。

同じ色の金魚をふたつとってレジへと持っていく。


「ピンクでいい?」


「おう。でも何でふたつ?」


「一個はお前の分。」


「もう一個は?」


「・・・俺の////」


耳まで赤くしてそっぽを向きながら言う。その様子を微笑ましく眺めて、久美子は買物を続けた。結局かなりの大荷物になってしまい、やっとのことで車まで運ぶとふたりは展望台に上がってみた。崖先に広く張り出したテラスになっていて、駿河湾が一望出来る。海の向こうには富士山がぽっかり浮かんで見えた。


慎が先ほどの包みを開けて金魚のストラップを出してきた。

ひとつを久美子に渡すと握るように言う。言われるままに久美子は柔らかい金魚の身体を握る。慎も同じことをして、その手を久美子の手に重ねると大きく振る。ちりんちりんちりんと鈴の音が三度聞こえた。


久美子は何をしているのかわからなくて戸惑っていたが、慎は何も言わず今度は縮緬細工の金魚を取り替える。お互いの手の中で金魚はうっすら湿っていたが、不思議と久美子はそれを不快には思わなかった。


取り替えた金魚を満足そうに眺めると、慎は飲み物を買ってくると言ってそそくさと離れていった。心無しか、また赤くなっているように思う。


「なんだ、あいつ・・・?」


なんだか腑に落ちなかったが気にしない事にして久美子は手元を覗き込んだ。可愛い細工物の金魚と眼が合う。目の前にぶら下げて、ちりんとつつく。


その時久美子はさっきレジで貰った袋の中に小さな紙切れが入っているのに気が付いた。取り出して読んでみる。


 恋を叶える縮緬細工

 その昔、この岬で恋人同士が同じ品を交換しあって誓い合うと

 添い遂げられると言う伝説がありました。

 お揃いの縮緬細工をひとつずつ持ち手を合わせて三度鈴を鳴らしましょう。

 その後でそれぞれ握った縮緬細工を交換します。

 ここ、恋人岬に昔から伝わる恋の誓いの儀式です。

 恋人岬がきっとあなたの恋を永遠のものにしてくれることでしょう。


先ほど慎がしていたことの意味がわかって久美子は微笑んだ。


「なーんか、可愛いじゃん・・・あいつも。」


慎はこのためにわざわざ自分を誘ったのかと思う。学生の身では遠出のドライブも楽ではないだろうに。『恋人岬』と彫られた石碑を見ながら、久美子は慎のいじらしさがだんだんと心に広がってきた。ほんわりと温かい気持ちになっている。


「しょうがないなー。ほだされてやるか。」


戻ってきた慎になんて言ってやろうかと、久美子はくすくす笑いながら考える。

あいつ、どんな顔するかな・・・


手の中の金魚を目の高さに持ち上げて眺める。

その向こうに海が見えて、まるで金魚が富士山の上を泳いでいるようだった。


「山口。わりぃ、遅くなった。」


慎の声に久美子はゆっくりと振り返った。



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お読みくださいましてありがとうございます


先週、家族旅行へ行った時に偶然通りかかった「恋人岬」。

あっという間に慎久美変換です。こんなことやってるから仕事進まないんだよ・・・


2010.8.11

双極子拝