※ドラマ・在学中、おつきあい前。高校時代の「ウージぬ森で」のふたり。
夏雲
夏空に真っ白な入道雲が湧き上がっている。
よく手入れされた広い庭には、午前中のうちに丁寧に打ち水がされてあったが、
そんなものはとうに乾ききって、白茶けた土に照り返しが眩しい。
絵の具を流したような青い空をバックに、黒い粒が宙を飛んでは庭に落ちて行く。
合間にはぷっぷっぷなんて音も聞こえて、慎は思わず苦笑する。
行儀の悪りぃ女だな・・・
ここは、大江戸一家の庭に面した縁側である。
お盆休みに入った久美子は、なんだかんだと理由をつけては慎を呼び出し、
遊びに付き合わせていた。
高校3年の夏休みだと言うのに、慎は世間一般で言う若者らしい青春にはちっとも興味が無いのか、いつ呼び出しても律儀にやって来る。
端から見れば無理難題のような久美子の「親切」をいやな顔一つせずに受ける慎に、大江戸一家は感心している。
「おい、沢田。お前、男だったらもっと豪快に食え!!
ガバッとかぶりついて種をぷーっと吐き出さねえと、西瓜の本当の美味さってのは味わえないんだぞ!!」
大口を開けて西瓜を頬張り、口の中から種を吹き出しつつ、久美子が言う。
「・・・聞いたことねぇし。」
そう答える慎がさくさくと食べている姿は、どことなく品よく見える。
「かーっ!子供にゃあ正しい夏の過ごし方ってのをさせてやらないと、日本は滅びるぞ!」
「何、大げさなこと言ってんだよ。・・・それ、食わねぇんなら貰うけど?」
「駄目だ!これは、あ・た・し・の!!」
「・・・はい、これで俺の。」
「あーっ!返せ返せー!あたしの西瓜ーっ。」
「もう遅い。」
そう言いつつ慎が西瓜をかじると、久美子が横から慎の手の中の西瓜に噛み付いた。
「へっへっへー。油断大敵だな、沢田。」
大きくかじり取られた西瓜を見て、慎はため息をつく。
「・・・ったく。」
間接キスだよなぁ、これ。
ちらりと久美子を見やると、自分の食べかけにご機嫌でかぶりついている。
「そう言えばさぁ。沢田。お前に聞きたいことがあるんだ!」
綺麗に西瓜が片付いたところで、久美子がそう切り出した。
顔を見るといつになく真剣だ。どうしたのだろう?
「この間さ。川嶋先生達と合コン行ったんだ。」
「またあの刑事達とか?」
久美子は全く気がつかなかったが、慎の口調には不機嫌さが混ざっている。
「そう。藤山先生と5人でな。それでさ、そのときにな。」
「うん。」
「ファ、ファ、ファ、」
「ファ?」
「ファースト、キ、キスがいつかって話になったんだ////」
真っ赤になって口ごもる久美子を見て慎はにやりと笑う。
「で、ヤンクミは正直に言ったのか?『まだですー』って。」
「ばっばか言えー!んなこと、言うわけないだろ!!恥ずかしいっ。」
「へぇ、やっぱり、まだなんだ。」
「な、何言ってんだ。あたしだってなー、キスの一つや二つ・・・」
「一つや二つ?」
にやりと笑って慎が久美子をの顔を覗き込む。
その顔の近さに久美子は思わずどきりとして、
「・・・ごめんなさい。嘘です・・・」
消え入りそうな声で白状した。
皆がうっとりと自分のファーストキス体験を話しているのを聞いて、久美子は羨ましくなったのだ。柏木のだけはちょっと創作が入っていたような気がするが・・・
あたしも、あんな経験してみたい。
久美子はドキドキしながら慎の唇を見る。
ぷっくりふくらんでて、つやつやしてて、赤くって、きれいだよなぁ。
柔らかそうだな。やっぱ柔らかいんだよな。うわぁ・・・
ぽーっと考え込んでいたら、
「何考えてんの。」
慎に笑われてしまう。
その笑顔がさっきよりもずっと優しくて、久美子は思わず赤くなった。
久美子の考えていたことが何となくわかって、慎も久美子の唇に目を奪われた。
そのまま、どちらともなく顔を寄せていく。
ゴクリ・・・
久美子の喉が鳴って、慎が吹き出した。
「・・・!!もうっ!大人をからかうな!/////」
真っ赤になった久美子が、大声で抗議する。
「あははっ。ごめん。」
「もうっ・・・!」
慎は大きく息を吐くと、笑顔のまま言った。
「ヤンクミ、してみたい?」
「ば、ばか、何言って・・・」
「俺は、してみたい。」
「沢田・・・」
真剣な顔になってそう言った慎に、久美子は一瞬心を奪われた。
その隙に。
ちゅ・・・
慎の唇が久美子の唇に重ねられた。
「え・・・?」
唇をほんの少しだけ離して、慎は久美子の顔を見た。
久美子は驚いたように目を見張っていた。
じっと見つめていると、久美子のまぶたがゆっくりと閉じられていったから、
今度は頬にそっと手をやって、もう一度しっかり唇を重ねる。
啄むように幾度か触れて、少しだけ舌先を絡める。
まるで少年のようにあどけないキスだった。
ドーン・・・
遠くで花火の音がした。
今夜の花火大会の景気付けに、音だけの花火をあげているのだ。
その音を聞くと、慎と久美子はぱっと離れ、照れくさそうにそっぽを向いた。
やがて何事もなかった振りをして話し始める。
「あ、あ、あのさ、今夜、花火大会、だな。」
「そう・・だな。」
「河原まで行ってみないか?」
「ああ、いいよ。」
お互い顔を見ないようにしていたが、相手の声色から怒っていないことを知ってほっとする。
慎の手が、縁側についていた久美子の手にそっと乗せられた。
久美子はびくっとしたが、ちらりと見た慎の耳が赤くなっているのに気がついて握り返す。
もう一度ちらっと慎を見ると、今度は慎と目が合った。
ふたりはそのまま互いの目の色を探り合っていたが、やがて同時ににっこりと笑った。
「今日さ、俺の誕生日、なんだ・・・」
「おお、そうだな!沢田も18歳だ。おめでとう!今夜は祝いの膳を用意してやるからな!それ持ってみんなで河原に行こっ。」
「プレゼント、サンキュ・・・」
一瞬、久美子は訝しがるが、慎の言った意味が分かって真っ赤になった。
「馬鹿野郎・・・貴重なファーストキスなんだからな。大事にしろよ。」
口を尖らせた久美子が拗ねたような小さな声でそう言うと、
「俺もだよ。」
そう返事が返ってきて、久美子は嬉しくなった。
どこかでツクツク法師が鳴いている。
長い8月の日が暮れかかって、夏雲がほんのりと茜色に変わり始めていた。