※ドラマ・卒業後、慎片思い。オリキャラ出ます。
くっきりとした地平線から立ち上がった青空がどこまでも続いていた。
見渡す限りの赤茶けた大地の上を乾いた風が渡っていく。
遮るもののない太陽が濃い影を足元に作る。
天蓋無窮
俺は今、日本を遠く離れ、モロッコの空の下でひとり働いている。
地中海に面した沿岸部はそれなりに発展しているものの、一歩内陸部に入ってしまえば
サハラ砂漠に阻まれて、厳しい自然環境のもと、貧しい人々が日々の暮らしを
必死になって支えている。
俺は、そう言った辺境の村々に生活インフラを提供する団体で働いていた。
変電設備や電波局、橋や水道、病院などの大規模なものから、
直堀の井戸や電柱、浄水器などの細かいものまで何でも請け負っている団体である。
ここへ来てつくづく痛感したのは、自分が如何に役に立たないか、であった。
ここでの生活の命綱である車だって自分で修理できなければのたれ死にだし
どんなに資材が足りなくても、工具がなくても、有り合わせのもので工夫して
ひとりで乗り切らなければならないのだ。
自分が誰かを助けられるかもしれないなんて、思い上がりだった。
自分ひとりをなんとかするのに精一杯だったのだ。
日本を出た後、俺は所属する団体の研修に参加して、
電気関係と工作機械についての基礎を学んだ。
研修中のパリでの3ヶ月は、今までの人生全部と比べても
一番たくさん勉強した期間だと思う。
生まれて初めて接するフランス語も、日に日に上達するのが楽しくて一生懸命勉強した。
研修中の俺は、優等生だったと思う。
実際、一緒に研修を受けた連中の中ではトップの成績だったのだ。
それなのに。
過酷な現実が、思い上がったプライドをずたずたにするのに手間はかからなかった。
俺にも誰かのために何かが出来る、そうして強くなるんだ、
なんて考えが甘っちょろいことをいやと言うほど思い知らされた。
俺はここに何しに来たんだろう?なぜこんな事をしているのだろう?
目的を失って、自分を見失って、俺は日々の暮らしに埋没していった。
ここへ来たときには毎日考えていたヤンクミやダチのことも
今ではなんだか遠い世界の出来事のように感じる。
その老人と知り合ったのは、ちょうどそんな時だった。
時々買い出しに行く大きな街のカフェで、いつも同じ席に座ったままのひとりの老人。
すべてを見てきたようなその風貌に惹かれて見つめていると、声をかけられたのだ。
「君は旅行者かね?」
「いえ、NGOのものです。奉仕活動をしています。」
「ほう・・・中国人かね?」
「いえ、日本人です。」
「ふむ。迷った目をしているね?」
「・・・」
俺が黙っていると、老人は続けた。
「何かを探しに、この土地へやってくるものは多い。
しかし、ここで何かを見つけて帰っていくものは少ないのだ。」
「・・・」
その時はそれっきりで別れたのだけれど、老人のことが忘れられなかった俺は
次に街へ行った時もそのカフェに行ってみた。
「・・・こんにちは。ここ、いいですか?」
「やあ・・・」
この前あってから随分経つと言うのに、まるで昨日別れたかのような笑顔の老人に
俺は安心して、話し始めた。
「俺には、大切な人がいるんです。その人に認められるような男になって
迎えにいくのが、俺の夢だと思ってました。」
たった一度、声をかけられただけの他人に、俺は自分の心を吐露していた。
仲間でもない、知り合いでもない相手だと言うことが
心の枷を外してくれたのかもしれない。
あるいはすべてを見透かすような茶色の瞳に縋りたかったのかもしれない。
俺の独り言のような相談を、老人は黙って聞いていてくれた。
「彼女は、ヤンクミは、俺や俺のダチにとって大切な人でした。
自分だって決して器用じゃないのに、いつだって真っ正直に俺たちにぶつかってきて
身体を張って俺たちを守ってくれたんです。
彼女の私生活にも関わるようになって、段々親しくなっていって
そのうち、どうしようもないほど惚れているのに気がつきました。
でも、それを告げる気にはなれませんでした。」
「ふむ・・・」
先を促すように相槌を打つ老人に励まされて、俺は話し続けた。
「俺は、あいつの一生徒でしかなくて、男だと思ってもらってすらいなかったんです。
あいつは、仕事場へよく顔を出す大人の男にずっと片思いしてて。
大人のつきあいと、俺との子供のつきあいは、あいつの中ではっきり別れてました。」
俺は一旦言葉を切って、ぬるくなったお茶を飲んだ。
老人は黙って俺を見ていた。
「俺は、あいつの前で、自分は男だと堂々と言えるようになりたかった。
そのために強くなろうとここまで来て一生懸命頑張ってきたつもりです。
あいつの為に、ここへ来たはずなのに・・・俺はちっともうまくやれないんです。
毎日の生活に精一杯で、俺は・・俺は・・・」
「どんなに大切なものでも、人は日常に追われているうちに忘れ果ててしまうものだ。」
「・・・」
俺はふと顔を上げて老人を見た。
老人はいつもと変わらぬ穏やかな瞳で淡々と語っている。
「一生を変えるほどの衝撃的な出来事ですら、思い出すのは年に数度だ。
人は、流されるのだよ。」
言葉にして話したことで、俺は自分の悩みを自覚した。
あの老人の言葉を、俺は何度も何度も反芻した。
大切なものですら人は忘れていく・・・か。
実際、俺もあれほどこだわっていたはずの女を思い出す回数が減ってきていた。
それが俺の心の渇きとなって、俺を蝕んでいたのだ。
その後、俺は街へ行くたびにあのカフェへ行き、
いつもの席に化石のように座っている老人と話すようになった。
故国アメリカを捨て、もう50年以上もここに暮らしていると言う老人は、
作家なのだと言っていた。
放浪の果てに、ここへ辿り着き、そのままここで暮らしているのは
この空に惹かれたからだと言う。
「この空は、まるでなにか堅固なもので出来ているように見えないかい?」
「ええ・・・」
湿気の多い日本の空は、カラッと晴れた日でも柔らかく輝いて温かい青色をしている。
しかし、ここ北サハラの空はそうではない。
乾いた風の吹き渡る荒涼とした大地の上の空は、
空全体が一体となって光っているように見えるのだ。
その輝きは硬質で、熱く照っていると言うのにどこか冷たくよそよそしい。
「この空は向こう側にある闇から我々を守ってくれているのだよ。
そう、まるで、シェルターのようにね。」
「闇?夜とか宇宙とかのことですか?」
「いいや、そんなものではない。
あの向こうにある深淵は、人の力だけでは計れない闇なのだ。
すべての禍々しいもの、すべての恐怖があの向こうに横たわっている。
それらから、我らを守っているシェルターなのだよ。」
「・・・」
「自分が何者かに庇護されていると言うことは、なかなか理解しづらいことだ。
特に若いときには、な。」
老人にあったのはそれが最後だったが
彼の話は、いつまでも俺の心に残っていた。
庇護されている、か・・・まるでヤンクミに守られていた俺らのことみたいだ。
そう、ヤンクミはいつも俺たちを守ってくれた。
汚い大人たちから、冷たい世間の目から。
俺は、一方的に守られるばっかりな自分に嫌気がさしたのだろうか?
あいつにふさわしい男だと証明したかった。
だからあいつの庇護のもとから飛び出した。
そう思ってた。ずっと。
でも、ちがうんだ。
俺が逃げ出したのは、ちっぽけな自分からだ。
あいつに比べてちっぽけな自分を認めるのが怖くて、闇雲に逃げ出した。
いま俺がしなくちゃいけないことは、あいつの前で自分を認めることだ。
俺は赤茶けた大地の上で光り輝くシェルターを見上げた。
天蓋無窮。
その空は朽ちることなくずっとずっと守ってくれる。
まるで彼女のように。
俺を庇護する俺の空・・・愛してやまないヤンクミ。
帰ろう。
彼女のもとへ。
帰ろう。
俺らみたいなバカなガキを身体を張って守ってくれた彼女のところへ。
帰ろう。
俺らをずっと信じて限りない愛情を注いでくれた彼女のところへ。
あの、優しい空のもとへ。
帰ろう。
今度は俺が彼女の空となるために。
大切な人と共に生きるために。
彼女と何か約束をしたわけじゃない。
でも、なぜだか彼女が待っていてくれるという気がする。
あの日、空港での別れのとき。
彼女の瞳の中に揺れていた思いは、きっと俺と同じもの。
心のどこかでそれを知っているんだ。
今まで一度だってそんなことはしたことがないけれど、
愛しい彼女に、俺のヤンクミに手紙を書こうと思う。
文面はこうだ。
『来月帰る。
会いたい。』
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ここまで読んで頂きありがとうございます。
ドラマ版初挑戦です。キャラが違うかもしれません。
詳しい設定はないようなので色々捏造してしまいました。
アフリカなんだから北サハラでもいいんだよね、と大好きな小説のオマージュです。
オリキャラの老人は、元ネタとなった小説の作家さんです。
何語で話しているのか、とかそんな難しい会話が出来るのか、
とか色々突っ込み所がありますが、慎ちゃんは優秀だってことで。
ちなみに、『天蓋無窮』なんて普通は使わないようです。
やっぱり四字熟語が出てこない・・・
双極子