「はぁ・・・」


メイド部屋で午後の休憩をしながらため息が出た。

ため息の原因はうちの坊ちゃまだ。


「あれが最後の一箱だったのになぁ・・・」


紅茶(今日のはあたしの大好きな蟹鍋フレーバーだ)の湯気がたゆたうように流れて行くのをぼんやり眺めて、隣のお茶菓子に目を移す。大好きなチョコ・ビスケットの最後の一箱を坊ちゃまに見つけられてしまった所為で、今日のお菓子は怪物麦のスコーンのみだ。ジャムを切らしているから味気ない事この上ない。


あたしは極鬼族だ。


怪物ランドの大王様の家臣で、お抱え絵師でもあるさる貴族の館で、メイドを務めている。あたしの家は代々この館に仕えていて、ただひとり存命の家族である祖父が今でも御当主様の執事を務めている。


あたしの母は、怪物ランドでの生活に嫌気がさして若い頃に屋敷を飛び出し、人間界でしばらく暮らしていた事がある。その頃にあたしの父と知り合ったらしいが、詳しい事は聞かされていない。あたしが鬼だって事は両親もまた鬼だってことだ。多分、父はずっと昔に人間界に根を下ろした古い鬼族のひとりだったのだろう。


とにかく、一族の誰にも知られない中であたしは生まれた。あたしを七歳まで育ててくれた両親は、悪魔族との戦いで亡くなってしまった。今ではもう、顔もおぼろげだ。ひとりで途方に暮れていたあたしを引き取ってくれたのが、このお屋敷の御当主様なのだ。そこで初めてあたしは祖父の存在を知り、以降、お屋敷で働きながらともに暮らしている。


御当主様の奥様は、あたしがお屋敷へ引き取られる少し前に跡継ぎとなる男の子を産んでいた。その後に子供が出来なかった事もあって、御当主様と奥様はあたしを大切にしてくれた。


ここであたしは坊ちゃまのお世話をしている。


わがままでやんちゃな所もあるのだが、本当は心の優しい坊ちゃまを、あたしは実の弟のように思っている。他のモノの眼があるところでは、きちんと主人と侍女の立場をわきまえた態度でいるが、ふたりきりのときには互いに遠慮はしない約束になっているから、つい手を出したり憎まれ口を叩いたりしつつも、あたしはこの坊ちゃまが可愛くて仕方ないのだ。


「はぁ・・・」


あたしはまたため息をついた。


「坊ちゃまに見せるんじゃなかったなぁ。」


最近のあたしのお気に入り、あのチョコ・ビスケットはキクノさんに貰ったものだ。キクノさんは姑獲鳥族で、彼ら一族の女達は子を育てるため、人間界と怪物ランドを渡り鳥のように移動して暮らしている。


「新発売のお菓子、あんたが好きそうなん貰てきたで。うちのユウタもえらい気に入ってたし、あんたんとこのボンも好きちゃうん?」


そう言って半年振りにあったキクノさんがくれたのがチョコ・ビスケットだったのだ。


美味しくて美味しくて、初めに貰った五箱のうち三箱はあっという間に食べてしまった。残り二箱のうち、ひとつは坊ちゃまに献上して、もうひとつは大切に取っておいて、少しずつ楽しむつもりでいたのだ。


なのに・・・


「おい!あのチョコ・ビスケット、もうないって言ってたのにお前から匂いがするじゃないか!あ、しかも、お前の部屋の方からも匂ってくるぞっ。・・・くんくん・・・あーっ!こんな所に隠してたなー。これくれっ!」


「やです。」


「くれよーくれよー。」


「やです。それ最後のひとつですもん。」


「ナニ?最後のひとつー?欲しい、絶対に欲しいーっ。」


「だーめ。また次に手に入るまで我慢して下さい。」


「次っていつだよー。やだやだやだー。一枚だけでもいいからさーっ。」


「・・・じゃ、一枚だけですよ?」


結局、坊ちゃまの勢いに負けて一枚あげてしまったのが運の尽き。

最後の一箱は坊ちゃまによって空となった。


怪物ランドでは決して買えないチョコ・ビスケットがなくなった時のための手を打ってはいた。最近、ドラゴン使いの一族が宅配便を始めたのだ。ドラゴンは、怪物界・人間界・悪魔界はおろか天界や冥界に至るまで自由に飛び回ることが出来る。その特質を活かして宅配便をやっているわけだ。


当然、通信販売なんかもやっていて、あたしは早速、あのチョコ・ビスケットを箱買いした。お届けまで三営業日お待ち下さいと言われたが、どこの世界での三日なのか聞き忘れた。予想ではそろそろ届く頃なんだけど・・・


紅茶をもう一口すすった所で、あたしの耳が微かな音を捉えた。


・・・ コン・・・コン・・・コン・・・


極鬼族はみな地獄耳だ。

普通の怪物ならば捉えられないであろう小さな音を聞くことが出来る。

方角と距離からして、あれは正面玄関のノッカーの音に違いない。


「来た!来た来た来た来たーっ。」


ドラゴンマークの宅配屋さんが、あたしのチョコ・ビスケットを持ってきてくれたのだ。

嬉しくって長い廊下を全力で駆け抜けた。


走るあたしの足元から火花が散る。

腕を振る度に疾風が巻き上がる。

なびく髪が焔となって燃え上がる。

雷光を全身に纏って、あたしの身体が加速する。


あたしは極鬼族一高貴な血を持つ祖父と、人間界で自然を処して生きる父の一族の双方から能力を受け継いだ。こんな現象は日常茶飯事だ。


日常茶飯事なのだから興奮のあまり暴走してしまうとどうなるか、よく忘れてしまうのだ。はっと気が付いた時にはもう正面玄関の扉はすぐ目の前で、慌てて止まろうとしたけれども一瞬遅かった。


ドガーン!


「いったぁ・・・またやっちゃった・・・」


もちろん、御当主様とその一族を守るため、特別頑丈につくられているのだからアタシがぶつかったくらいで扉は壊れたりしない。これを壊せるのは、怪物ランド広しと言えども現大王様くらいなものだ。


たんこぶの出来たおでこを髪でさっと隠して、あたしは満面の笑みで扉を開けた。

素晴らしい贈り物を届けてくれるのだもの、最上級の笑顔でお迎えせねば・・・


「・・・・」


「え・・・?」


扉の外に立っていたのは、ひとりの青年だった。

着ているのは東宮の執事の衣装で、どう見ても宅配屋さんではない。手ぶらだし。


多少、いやおおいにがっかりしたが顔に出さないよう、浮かべた笑みは崩さないでおいた。この青年に見覚えはないが、東宮から来たのだから王子様からの使いに違いない。


そして太郎殿下の御用と言えば、うちの一郎坊ちゃまへのお誘いと決まっている。

一の君である太郎殿下をお生みになられたお妃様は、御当主様の姉に当たるお方だ。掟に従い今は怪物界の花園でただひとり、ひっそりと暮らしておられる。


従兄弟同士、顔立ちも性格もよく似ているふたりは、幼い頃から仲がよく、頻繁に行き来している。母の顔を知らずに育った王子様は、義理の叔母であるうちの奥様にもよく懐き、しょっちゅう遊びにくるのだ。


お使いの執事さんは、何も言わずにぼんやりと立っている。

寝ぼけているのか、聞こえないのか。

あたしは近寄ってその顔を覗き込んでみた。


黒くて大きな眼がくりくりしててとっても可愛い。


「あのー、もしかして王子様からうちの坊ちゃまに、何か御伝言ですか?」


「へ・・・?あ、あの、その・・・」


へどもどしながら名乗るので取り敢えずこちらも名乗る。つい、いつもの調子であたしと言いそうになったが、相手の身分を咄嗟に思い出して言いなおす。失敗が恥ずかしくて思わず赤くなってしまった。


誤摩化すように笑ってみたが、シンと名乗るその青年は黙ってじっと立ったままだ。


大きな瞳がひたとこちらを見つめている。

下まつげ長いなーなんて考えながら、一向に用件を話そうとしないシン君を前に、あたしは途方に暮れていた。


夕日があたし達の顔を照らしている。

どこかでのんびりと鵺が啼いている、穏やかな日のことだった。




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なんだか設定を説明しているような後半ですが、如何でしたでしょうか。

クミコさんは不思議がっていただけで、恋の予感を感じたのはシン君のみのようです(笑)


おつきあい頂き真にありがとうございました。

そして、R様。素敵なアイデアと機会をくださいまして、ありがとうございます。

またおつきあい下さいませ。


2011.11.7

双極子拝