怪物くんとチョコビのドラマ版クロスパラレル。



さて、ここは怪物ランドのとある湖。

湖には船が一艘浮かんでいる。

船上にはふたりの人影があって、何やら細い棒をしならせてはひゅんと何かを湖面に投げ込んでいる。

ぽちゃんと言う響きが起きる度、静かな湖畔にまんまるな波紋が広がっていく。



坊ちゃまは釣りに目覚めたのです



「あーっ、もうそれじゃダメだって。もっと遠くに、もっと、もっと腕をしならせて」


「こう?」


「違うって。こうやって、そう、ほらここ持って」


「えい!」


「あい、いててててー引っ掛かってる、引っ掛かってるよー」


「あ、ごめん」


「気を取り直して・・・えい!」


「そう、そうそう、そうやって・・・」


ぽちゃんと音がして、クミコの投げたルアーが今度こそ程よい位置に落とされた。


そして言われた通りにつつーっとルアーを滑らせて行く。一郎はその手つきに満足して、自分の釣り竿の元へと戻って行った。


怪物ランドにはたくさんの湖があるのだが、ここは珍しく汽水湖である。


汽水と言っても、海水と真水が混ざっているわけではない。怪物ランドの大地にしみ込んだ雨水が大地の力を吸って実体を得たもの、すなわち怪水(かいすい)と、冥界の暗黒の中にいずことも知れぬ異空間の裂け目から湧く水、すなわち魔水(まみず)が混ざったものだ。


湖底の奥深く、複雑に入り組んだ境界面があり、そのどこかから怪水中へ魔水が流れ込んでくるらしいのだが、詳しい事は判っていない。ただ、その流れには季節変化があるようで、それにあわせて旬の魚なども存在しているし、中には冥界を通り道にして怪物界と悪魔界を行ったり来たりしている回遊魚もいるらしい。


怪物ランドの湖で穫れる魚怪類は、怪物達の大切な蛋白源であるため、大きな富を生む。だから水産物は厳重に管理されていて、ずっと昔に交わされた契約により、怪水湖は半魚人、魔水湖は海坊主の一族が網元になり、漁業権の一切を取り仕切っているのだ。網元達は、その年の獲れ高に応じて王に上納金を納め、地位を保っていた。


その中において、汽水湖のみは自由に漁をすることが認められているのだ。


しかし、性質が安定しており調査も進んでいる他の二種類の湖と違って、汽水湖はその性質がよく分かっていないことが多い。だからここは一部のマニアのみの穴場スポットのひとつと言うわけだ。


「で、坊ちゃま。今のシーズンは何が釣れるの?」


くるくるとリールを巻きながらクミコが聞く。


「んーとね・・・この辺は上手い具合に汽水域になってっから、今頃はサトウがいるはずなんだけど」


やはり釣り竿を振っている一郎は浮かない顔で答えた。


サトウは、サトウ目サトウ科サトウ属の出世魚で、百センチ程の大型の白身魚だ。身は淡白でやわらかく、癖がないのでさまざまな調理法で食べられている。サトウの切り身でドクロ貝のムースを包み、更にパイ生地で覆ってからオーブンで焼く「サトウのパイ包み焼き」は一郎の大好物のひとつだ。


「なんだけど?」


「どーも場所が悪い・・・」


「悪いのは場所じゃなくて腕なんじゃない?」


「・・・・・」


「あ、怒った?」


「おこってなんかないっ。さ、ほら船を出すぞ」


「出すって、どこに?」


「あっちだあっち。早くしてよ」


まあ、このままここにいても釣果は期待できそうにないし、滅多にこない神秘的な湖の風景は美しい。クミコは操舵輪を持つと、船を発進させた。


クミコの風にそよぐ髪と白い横顔を、一郎は切なげに見つめていた。怪水と魔水の力が拮抗しているせいか、それとも別に何かの気に満ちているからか、クミコが髪を解いていても何も起こらない。いつもはほとんど見ることができない、その綺麗な髪がたなびく様を、一郎は船がポイントに着くまで飽かず眺めていた。


「坊ちゃまー。この辺でいいのー?」


「・・・・」


「坊ちゃまってば。なにぼんやりしてるのー?」


クミコは一郎の目の前でひらひらと手を振る。

一郎ははっと我に返った。


「あ、ああ、うん。ここ、ここでいい・・・」


「へんなのー。じゃ、錨下ろすねー」


鼻歌を歌いながら竿の準備をしているクミコが可愛いから、一郎はしばしの間、楽しんだ。と、視界の隅に妙なものが映った。


「・・・なんだあれ・・・」


確かに黒い影のようなものが湖面をざわめかせたと思ったのだが、辺りはべた凪でとろりと油を流したような水が静かにたゆたっているばかりだ。


「っかしーなー・・・」


首を捻ってもう一度探そうとした時、船の反対側からクミコの悲鳴が聞こえてきた。


「きゃーっ、坊ちゃまーっ。助けてー!!」


「どした、だいじょぶか!」


慌てて駆けつけてみると、クミコの竿にアタリが来たらしく、大きくしなって左右に振られている。クミコは頭に血が上ってしまって、どうすればいいか判らないらしい。


魚影から見てお目当てのサトウに間違いない。


「そのまま竿を立てててっ、リールは無理に巻かないで相手に任せて。絶対に弛ませんなよ。タモ網とってくっからもう少し耐えてろ!」


「ううー坊ちゃま、早く早くー」


「逃がすなよー。大物だかんなー」


タモ網を持った一郎が舷側に戻ってくる。クミコの竿に手を添えてサトウの動きに合わせつつ、ゆっくりとリールを巻き上げてもらうと、銀色に光る鱗が見えた。ここで気を抜くと針を外されることが多いのだ。


「早く!」


「いや、ゆっくりだ・・・そうそう・・・」


頃合いを見て、一郎が持つタモ網の柄がさっと宙を切ると、次の瞬間には大きなサトウが身を踊らせながら網にあげられた。


「うわぁ!やった、やったー」


甲板上でびちびちと跳ね回るサトウを見てクミコは大はしゃぎだ。


「こりゃ大物だ。形もいいし、旨そうだ」


「やっぱりパイ包み焼き?」


「やっぱりパイ包み焼き」


「ニガニガ草は?」


「抜きで。絶対抜きで」


目の前の獲物に夢中になって、湖面を盛り上げるように進む黒い影に気が付くのが一瞬遅れてしまった。さっきのは見間違いではなかったのだ。


ドドーンッ


大きな影は船に体当たりをし、次に跳ね飛ばされて大量の水と一緒に甲板に落ちてきた。クミコと一郎は互いに庇いあうようかに抱き合ったが、実はふたりとも釣ったばかりのサトウを庇っただけだった。


『め”え”え”え”え”ー”ー”』


「おい、ドラゴン。前見て進めつってっだろ、いつも。ったく、お前はよぉ」


ヤギのようなそうでないような雄叫びと、もうひとつ、聞き慣れた声がした。


「太郎!?」「タロちゃん!」


「あれー?一郎にクミコじゃん。ナニやってんだ」


巨大な影の上から暢気な声かけたのは、怪物ランドのプリンス、太郎だった。飼いドラゴンの達也に跨がってふんぞり返っている。


「何って、釣りだよ釣り。見りゃわかんだろ」


「なんか釣れんのか」


「当たり前だろ。ここのサトウは絶好調超だぞ、今」


「あー・・・それでかぁ」


太郎は、いつものように勉強の時間にこっそりと城を抜け出して、ドラゴンに乗って空中散歩を楽しんでいた。丁度、この湖の上にさしかかった途端、ドラゴンが急降下を始めて制御できなくなってしまい、湖に飛び込んでしまった。どうやらお目当ては今が旬のサトウの群れだったらしい。


『ゲェップッ』


たくさん食べたのか、満足そうなドラゴンをバシッと叩いて、太郎は舌打ちをした。


「面倒くせぇなぁもう」


ぶつぶつ言いながら持ち物を確かめる。王子の象徴である短剣、世継ぎの君の印たる紋章、ウタコの家の鍵、チョコビスケット入りの箱。大事なものは全部ある。


「ねえ、タロちゃん。タロちゃんひとりなの?」


クミコに聞かれてやっと思い出した。


「あ、そういえば侍従の若いのがくっ付いてたな」


「くっ付いてた?」


「おう。お供三人組は振り切ったんだけどよ、ひとりだけガッツのある奴がいてドラゴンの尻尾に掴まってたんだけど」


一郎とクミコが慌ててドラゴンを見るがもちろん誰もいない。


「大変!どっかで落っことしっちゃったんだ」


「探しに行かないと!」


「ええー、別に子供じゃないんだから自力で帰ってくるだろ」


「「何言ってんの!!」」


ここは汽水湖なのだ。

様々な力が拮抗していて危ういバランスを保っている場所だ。何が起こるか判らない。それに、王子付き侍従ともなるとかなりの名家の出身であるはずだ。小さなことが切っ掛けで、また廃太子運動などが起こったら・・・


慌てて水底を覗いてみるが、黒々とたたえられた深い水の向こうを見透かす事は出来なかった。


「見当たらない」「どうしよう・・・」


「大丈夫だよ、ほっときゃいいってば」


と、クミコの耳に、ぴたんと微かな水音が聞こえた。


慌てて振り向くと、船縁に変なものがある。

ワカメやコンブみたいなものが絡まりあった何かが、ぬめぬめと鈍く光りながらゆっくりと船に上がってこようとしている。ゆらりとそれが甲板に降り立った。よく見ると海藻だけでなく、ヒトデだのクラゲだの漁網だのがたくさんぶら下がっている。


人型をしていて、目なのだろうか、頭の辺りに光る点がふたつある。船上の三人は息を詰めてそいつを見守った。


「はーっくしょん、うー・・・ひでぇめにあった・・・」


「「「しゃ、しゃべったぞ」」」


「あっ・・・お、おう・・・」


王子と言いかけてぶっ倒れたそいつを恐る恐る覗き込んでみると。


「なーんだ、ワカメ男かと思ったら、ワカメが絡んでるだけじゃねぇか」


太郎がそう言うのを聞いて、クミコは慌ててそいつの頭部らしき所を弄った。ワカメやコンブ、ホンダワラなどを掻き分けていくと、白い額と濃い眉毛が現れた。


「あら、これって、えーと」


「あ、太郎んとこの侍従じゃん。名前なんてったっけ」


「名前?覚えてねぇな」


なおも掻き分けると、高い鼻と赤く艶めかしい唇も現れた。瞑ったままの瞼から生える長い睫毛を見て、クミコはやっと思い出した。


「そうだ!シン君だ!」


「そうそう、そんな名前だったな」


「侍従の名前くらい覚えとけよ、お前」


「うっせぇな。一杯いっからめんどくせぇんだよ」


いつもの様に言い合いを始めた太郎と一郎を放っておいて、クミコはシンの介抱を始めた。身体に絡み付いた海藻を取り去り、辺りの大気から力を集めて拳に込めると、


「えいっ」


スパッと青い光が放たれて、喝が入った。


「グホッ・・・ガハッ・・・」


ワカメ男、もといダークエルフの侍従シンが、咽せながら飲んでいた水を吐き出した。尚もぜいぜいと苦しそうなところを、クミコがてきぱきと介抱する。身体がすっかり冷えているので、シンの半身を起こすと、心臓の上に手のひらを当てて熱を分けてやった。


しばらくそうしていると、白かった頬に段々と赤みが戻ってきた。

長い睫毛がふるふると震え、瞼がゆっくりと開いていく。


「あ、気が付いた?」


瞼の下から現れた黒い瞳にまともにぶつかってクミコはどきりとした。大きな瞳はぬれぬれと黒く、その底に不思議な光をたたえている。まるでこの湖の底の様だ。


「貴方が助けてくれたの?」


甘い囁くような声で一言問うて、シンはにこっと笑った。その笑顔があまりに純粋無垢で、クミコは返事も忘れて見入ってしまった。


「あれ?シン君ー?また気を失っちゃった?」


クミコの腕の中でしあわせそうな笑みを浮かべたまま、シンは安心したように眠ってしまった。


背後でクミコのチョコビスケットを見つけた太郎と一郎が、取り合いしている声が聞こえる中、なぜかクミコはシンの身体を放せずにいた。



2012.4.23