静かな喫茶店に落ち着いて、コーヒーを前に四人はまた様々な話をした。


「へ?慎と知り合いなの?」


「え?じゃあ、沢田君て沢田さんの弟さんなの?」


驚く脇と温美に、慎は簡単に事情を説明した。


「じゃあ、慎と市川さんて将来は義兄妹ってわけか。」


「初めに見た時にどこかでお会いしたかなーって思ったのは、だからなのね。沢田さんと沢田君、よく似てらっしゃるもの。」


「そう。なのでお願いしてペアになってもらったの。」


「へぇ、慎のおかげで俺、いい人みつけたなぁ。」


玲をダシにすっかり打ち解けて、脇と温美は連絡先を交換しまた合う約束をしたらしかった。


携帯が鳴って温美が席を立った。ややあって戻ってくると、迎えが来るとのことで会はお開きとなった。連れ立って駅へ行き、迎えを待つ温美とそれに付き添うことにした脇のふたりを置いて、最寄り駅からタクシーに乗ると言う由衣と一緒に慎は電車に乗った。


疲れた顔の人々と酔客の間で、由衣を庇うように立っていた慎が言いにくそうに話しかけた。


「なぁ・・・由衣さんさ。」


「はい?」


「やっぱ、女の子って普通、頼れる男が好きだよな・・・」


「んー・・・人それぞれだと思うけど、どちらかと言えばそうじゃないかしら。私のお友達もどちらかと言えばリードして欲しいって言う子が多いかんじね。」


由衣の通う大学は、小学校からエスカレーター式のお嬢様学校だ。今どき珍しく「大和撫子」「良妻賢母」を教育の柱にあげていて、旧華族・皇族などの縁者も多い。それでも最近は時代の波で、少しは砕けてきていてささやかだがそれなりの青春を謳歌しているものも少なくないと聞く。


「そっか、そうだよなぁ・・・」


はぁっとため息をついて項垂れてしまった慎に、由衣はおかしそうに言った。


「久美子さんに頼りないって思われてるって、本気で思ってる?」


「え?」


「ふふ、何で判るのって顔ね。わかるわよ、顔に書いてあるもの。」


「え・・・そう?」


慎はごしごしと顔をこすった。頬がうっすらと赤くなったのは酔いの所為だけではない。

これは私の想像だけど、と前置きして由衣は語り始めた。


「久美子さんてとても素敵な人よね。裏表なくて気っ風が良くて。そこらの男性よりもずっと頼りになるし。」


「うん。」


そう言う久美子の姿はすぐに思い浮かべることが出来る。慎は緩む頬を由衣に見られないように、そっと口元を隠した。


「慎くんて久美子さんのそう言う男らしい部分をどう思ってる?」


「どうって////・・・あいつらしい・・・かな?」


「久美子さんはね、そう言う自分にちょっと気後れしているんじゃないかな。」


「何でそんな事を?あいつのいい所なのに。」


そここそが自分が一番惹かれる久美子の美点なのに。

気が強くて男前な久美子が、時おり垣間見せる初々しい色香こそが魅力なのに。

慎は唇を噛んだ。

俺の気持ちは伝わっていないのだろうか。


「慎君がそこを気に入ってるからこそ、久美子さんは自分が可愛いと思われることはないって感じてる。ずっと頼れる姐御でいなければ必要とされないと思ってる。」


由衣は中空のどこかをじっと見つめて、考えながら話していた。


「・・・・」


「そう思っている一方で、久美子さんはあなたに可愛いと思われたい、愛し守るべき存在だと感じて欲しい、そうも思っている。でも、年上だし女らしくもないから甘えるのは気恥ずかしいと感じてる。」


「俺は・・・」


「あなたが悪いって言っているのではないのよ、慎君。久美子さんがそう感じているのではないかって言っているの。」


「あいつが・・・」


窓の向こうを通り過ぎて行く街並みを見るともなく見ていた由衣は、ここで初めて慎を見た。


「慎君は自分が久美子さんに頼りないと思われていると思っているのでしょう?その気持ちは、久美子さんが自分を可愛くないと思われているって気持ちと背中合わせ、いいえ、裏表の関係と言ってもいいかもしれないわ。」


慎は唇を噛んだ。

由衣の言う事は確かに一理ある。由衣は大学で心理学を専攻しているのだ。


俺はどうしたらいいのだろう、浮かんだ疑問をそのまま口に上せると、


「あなたの思いを素直に伝えればいいのよ。」


と、にっこり笑った。


由衣の真心のこもった笑顔を見て、慎はもう一歩進んでみようと決意した。






なぜか白金駅で一緒に降りた由衣と肩を並べて駅舎の外に出ると、玲が立っていた。嬉しそうに由衣が駆け寄っていく。


「玲さん!」


「お迎えに参上いたしましたよ、お姫様。」


慣れた仕草で由衣の手をとり軽く口付けた兄を見て、慎は呆気にとられた。


「気障。」


「ロマンティックと言うんだよ。」


慎の厭味を軽く流して由衣の手をとると、玲は待たせておいた車に導いた。


「夏休み、少しくらいは家へ顔を出せよ。母さんが待ってる。」


「ああ。」


「じゃあね、送って下さってありがとう。久美子さんによろしくね。」


「ありがとう。じゃ、気を付けて。」


玲が運転手に由衣の家を告げると車は静かに走り出した。


後部座席に仲良く座る二人の姿を見送って、踵を返すとメールの着信音がなった。

立ち止まって開くと、藤山静香から来たものだった。


「『白金駅南口のハンバーガー屋さんであなたの恋人が暴れてるわよ』ってなんだこれ、藤山の奴・・・」


とにかく、久美子が何らかのトラブルに巻き込まれているのは間違いなさそうだった。

さっと携帯をポケットにしまうと慎は走り出した。


北口と南口を繋ぐ通路は酔客で一杯だ。人込みをかき分けてやっとの思いでハンバーガー屋まで辿り着くと、予想していたような騒ぎは気配すら見えず、明るい店内の通りからよく見える、大きな窓ガラスの脇の席で、藤山がにこやかに手を振っているのが見えた。


「くそ・・・藤山の奴・・・」


乱れた息を整えながら、引っ掛けられたなと小さく呟いて、藤山の待つテーブルへと近付いていった。


「はぁい!沢田クン、ここよー。早かったわねぇ。愛の力かしら?うふふ。」


何が、と言いかけてそのとき初めて慎は、久美子が藤山の前の席でテーブルに頬をくっ付けたまま、すうすうと気持ち良さげな寝息を立てているのに気が付いた。


「これのどこが暴れてんだよ。」


さり気なく背中に自分の羽織っていた上着をかけてやりながら、藤山を睨む。


「ふふー、さっきまで大変だったのよぉ、それが。」


「そうなのか?特に怪我はないようだけど・・・」


拳やむき出しの腕、あごや頬にも特におかしな所はなかった。


「山口センセったらねぇ、それはそれはもう大層な暴れようでねぇ。ついさっきまで叫んだり暴れたり・・・色々と、聞かせてもらっちゃったわ。沢田クン。」


「手前ぇ・・・」


浮き浮きと楽しそうな藤山を、慎はもう一度睨んだが効き目はなかった。


「ね、聞きたい?聞きたいでしょ。教えてあげよっか。」


「・・・・話せよ。」


藤山がこんな顔をしている時は、禄でもない事を考えている時だけだ。慎はむすっとしたまま先を促した。


「山口センセってばねぇ、あなたが頼りなくてつまんないって不満そうだったわよぉ。」


はっと顔を上げて顔色を変えた慎を見て、藤山は心底可笑しそうに笑った。


「あはは、ウソウソ。あなたたちって本当に気が合うのねぇ。同じこと悩んで同じように相手に言えずにいるって、もうゴチソウサマって感じー。当てられちゃうわぁ。」


あー暑い暑いとけたけた笑っている藤山を、慎は憮然と眺めた。


「・・・・山口はなんて言ったんだよ。」


それには答えず、藤山は視線をそらし、くぅくぅと寝息を立てている久美子の頭をしばらく見ていた。両手はアイスコーヒーらしいカップを持って、ストローを弄っていたがもう飲む気はないらしい。


「・・・・可愛い女の子になりたい。」


かなり間を置いてから、藤山がぽそりと言った。


藤山はさっきのからかうような表情と打って変わって、優しげな眼で慎を見ていた。


「え?」


先ほど由衣に聞いた話と、同じ内容が藤山からも出てきて、慎は驚いた。


「もっと大胆に攻めなきゃダメよ。年下の男がいいとこ見せたいなら、押しの一手で行かなきゃね。恋人を寂しがらせるオトコなんて最低よ。」


「・・・・」


眠り込んだ久美子を慎の隣に残したまま、じゃあ後はよろしくー、とひらひら手を振りながら藤山は帰っていった。


「え・・・どうすんだ、コレ・・・?」


一向に起きそうにない久美子を眺めながら、取り留めもなく慎は考える。


普段よりも幼い恋人の寝顔、頼りない自分、由衣の言葉、颯爽と由衣をエスコートする兄、揃いの指輪、柔らかな唇、白い首筋、甘やかな肌の匂い、そして・・・


酔いの冷め切らない頭で良からぬ事を考えそうになって、慎は慌てて頭を振った。こんな所で欲情などしている場合ではない。久美子を送っていかなければ・・・


「おい、山口、山口。起きられるか。おい・・・く、久美子・・・」


「うーん・・・・あ・・・さわららぁ・・・へっへっへ・・・」


背中を揺すると、半目を開けた久美子がむにゃむにゃと慎を呼んで、満足そうにまた寝入ってしまった。


「寝言かよ。」


しょうがないな、と呟きながらも、慎は悦びを抑えきれなかった。意識のない久美子をよっこらせと背負って、月を見ながらぶらぶら帰る。首筋に時おりかかる寝息と背中に感じる体温が、久美子を一層近しいものにしてくれるようだった。


「ふふ・・・久美子・・・」


「なんにゃ・・・しん・・・こ・・・」


「・・・くーみこ・・・」


「うにゃ・・・」


「久美子・・・、久美子・・・」


どうせ覚えていないだろうからと、何度も何度も恋人の名を呼んでは喜ぶ慎を、月だけが見て笑っていた、夏の宵。


 

イラスト 尚様