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その頃、慎は無理矢理連れて来られた合コンの席で意外な人物に会って驚いていた。
「あららー、慎くんだー。」
「何やってんすか、由衣さん。」
きゃははと笑って慎とペアを組みたいと囁いた女、市川由衣は慎の兄である玲の恋人だ。玲が大学に復学してからしばらくして、親父の紹介で知り合ったらしい。
維新の頃から沢田家と付き合いがあると言う申し分のない家柄の子で、おっとりして見えるのに明るくて芯の強い由衣は、公私ともに玲の伴侶として二度と巡り会えないと言う程良縁だと慎は思っている。玲の卒業とともに婚約する事が既に決まっているから、慎も面識があったのだ。
「ごめんなさいね、親友にどうしてもって頼まれちゃって。あ、玲さんはちゃんと了承済だから安心してね。ね、今日は久美子さんは?」
玲と由衣には久美子を紹介済だ。
始まりは見合いのようなものでも、会ってすぐに意気投合したふたりは今ではお互い深く愛し合っている掛替えのない恋人同士なのだと、慎は別々の機会にふたりから聞いた。だからこそ慎は、難しい立場にある久美子を真っ先に紹介したのだ。
「ああ、なんか職場の打ち上げとかで。」
「そうなんだ。実は玲さんもゼミの飲み会でね。OBもたくさん来るから無碍には出来ないって、悔しがってたの。お相手に慎くんがいるなら安心だわ。玲さんに報告しておくね!」
明るく言われて慎は微笑んだ。
仲間達は由衣以外の四人を前に盛り上がっている。
「由衣さんの親友ってどの人?」
こっそり聞くと、由衣は小声で教えてくれた。
黒いストレートヘアが清楚な印象で、他の三人と比べると少々地味だし引っ込み思案らしい。盛り上がる男女六人を余所に、食べる事だけに夢中な脇の前に座っている彼女は居心地が悪そうだ。
由衣も心配そうにちらちらと見ているが、離れているためにどう声をかけていいものかわからないらしい。
慎は隣の席のナリにそっと耳打ちした。
察しの良いナリはさり気なくトイレに立つ振りをして、それとなく皆の席を入れ替えた。
今度は慎の隣に由衣、慎の前が由衣の親友・温美で、その隣に脇だ。
「慎、お前それ喰わねぇなら俺が貰うぞ。魚、苦手なんだろ。」
「違ぇよ。ちょっと置いてあるだけだ。」
「あの・・・」
温美が遠慮がちに口を挟むので、慎と脇は思わず振り向いた。いきなり視線を浴びて萎縮してしまった温美だが、由衣に促されて小さな声で、
「それ、こちらの野菜とこっちのタレと一緒に召し上がると、苦手な方でも食べやすくなると思うんですけど・・・」
別々の皿をさしながら言った。
その言葉を聞いた途端ぎらりと目を光らせた脇を見て、温美はまた身を竦ませた。
そんな事には一向に異に介さず、脇はもの凄い勢いでその皿の料理を食べ始め、温美のお勧めの方法と比べてみて目を丸くした。
「ほんとだ、すげぇ!おい、慎、お前も喰ってみろ。」
「って、これは俺の皿だろっ。」
辛うじて脇の手から守った魚を食べてみた慎も瞠目した。
ご機嫌で追加注文をする脇を見て温美も嬉しそうに笑っている。派手ではないが人柄の良さを感じさせる上品な笑みだった。
「温美はねぇ、お料理がとっても得意なの。今すぐにでも料理研究家に成れるくらいなのよ。」
由衣がすかさず温美をアピールする。
食べ物の話となると温美は生き生きとし始めて、同じようにテンションの上がった脇とおおいに盛り上がり始めた。
慎と由衣は顔を見合わせて微笑みあった。
マナーモードにしておいた携帯が震えたので慎がポケットから取り出して確認すると、久美子からのメールが入っていた。
素早く内容を確認してがっかりする。
藤山に捕まって二次会ね・・・
「ね、脇さんと温美と四人で抜けない?あの子があんなに男の子と話すなんて初めてみたのよね。でもあの子の性格じゃ誘えないと思うのよ。お願い、協力してくれない?」
由衣が耳打ちしてきた。メールを見てがっかりした慎に気を使ってくれての事だとわかるから黙って頷く。
「おーい、こっち3×3に出来そうだから六人は一緒に抜けっことになってっけど、そっちはどうする?」
機嫌良く聞いてくるナリにこっちは四人で抜ける気だと伝え、楽しそうに去って行く六人を見送った。
「もう遅いから、お茶飲める所にしようか?」
「そうだな。ゆっくり喰える静かな所がいいな。」
「私はどちらでも・・・」
「じゃあ、あそこに入りましょ。」
このあたりでは珍しいであろう個人経営の喫茶店を指さして由衣が提案し、三人は頷いた。
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喧噪が店の中に満ちている。
久美子の真向かいの席では岩本と幸田が熱いスポーツ論を繰り広げ、その隣の八田は向かいの江口に何か教育論のようなものをくどくど語っている。もうだいぶ酒も廻って周りの様子など誰も気にしていない。
ここは二次会で入った居酒屋だ。
一応イタリアンではあるが、内装も値段も品揃えも気楽な気取らなくてすむ店であるので、一行の酒は一気に進んだものだ。
自分たち以外の四人がそれぞれの世界に浸り込んでいるのを確認してから、静香は端に座る久美子ににじり寄って囁く。
「で、彼とはどこまで行ったのよ?」
「え、ど、どこまでって・・・」
静香の顔は、如何にも興味津々と言う顔で、何が聞きたいのかなんてすぐわかる。
「今まで散々相談に乗ってきてあげたんだから、ちょっと位お返ししてくれたっていいじゃないのー。それとも何、もしかして上手くいってないの?」
ふと静香の顔が曇るので久美子は慌てて否定する。
「いえ!そんなことは・・・はは///」
「ま、そうよねー。その指輪、ずっとつけてるもんねぇ。」
からかうように静香が言うと久美子は更に赤くなった。久美子の誕生日に慎が買ってくれた指輪は、あれから一度も外されることなく久美子の指に嵌められている。もちろん慎の方もそれを外した事は無い。
生徒達は久美子が指輪をつけ始めた当初こそ色々と冷やかしていたのだったが、一見繊細に見えるその指輪が実は頑丈なステンレス製で、久美子がつけているとナックルと同程度の破壊力を持つと身体で思い知らされた今ではそれをからかう命知らずはいない。
当の本人である久美子ですら、最近は生徒相手に右拳を上げる事は無くなってしなった。まあだからと言って、左拳の攻撃力が劣っている訳ではないので生徒達への制裁には何の支障もないのだが。
「で?どうなってるのよ?」
「はぁ・・・それが中々・・・」
最近やっと人前で手を繋ぐことになれてきた。
家に行った時には触れるだけのキスをされる事がある。だけど、まだ両手で足りるほど。
よく出掛けはするが、いわゆるデートスポットに行った事はない。
時々すごく切なそうな顔で抱きしめられる事があるけど、緊張して何も出来ない。
黒田の家へ慎が泊まることはあるが、大抵宴会で酔いつぶれてしまう。
まるで中学生のようなふたりの交際に静香は呆れてしまった。
「本っ当っに、あんたって奥手なのねぇ。恋のお助けボンバーの出番かしら?」
「や、その・・・どうしていいもんだかよく分かんないんですよ、自分でも。」
「それは、どう言う意味?」
「あいつは元教え子ですし、未成年ですし。その・・・」
「なんだ、そんな事。」
「そんな事って・・・こっちは真剣に悩んでるんですよ。」
「うーん・・・彼がいいって言うんだから、別にいいんじゃないの。」
「でも、主導権握られそうで、なんか・・・」
「ぷぷっ、ばっかねぇ。そう言うときは男にリードさせてあげなきゃ。ちょっと位可愛いとこ見せとかないと立つもんも立ちゃしないわよぉ。」
「わわっ、こんな所でなんてことを!」
久美子は慌てて静香の口を押さえ、辺りを見回す。
「だーれも聞いちゃいないわよぉ。」
からからと笑う静香を見ながら久美子は言った。
「問題は、だからそこなんですよ・・・」
「そこ?」
「ええ・・・だから、そのぅ・・・可愛げっちゅーのがどうも・・・」
「ははーん。年上の彼女としては色々と不安な訳ね。」
「・・・・」
久美子は俯いたままグラスの氷をからんと揺らした。
あとで沢田クンにメールしてあげようっと。
年上の女には押しの一手。押して押して押しまくれってね。
くすりと笑って静香は煙草に火をつけた。