※原作・卒業後、 おつきあい前。 2008と2009は無かったことになってます。「甘い誘い」の続編。
あの日、ふたりで行った映画の帰り道。
「俺と付き合ってくれる・・・?」
「・・・うん・・・」
ずっと聞きたかった台詞が聞こえてきた。
嬉しくて、でも恥ずかしくて、胸が一杯で、頷くのが精一杯だった。
甘い触合い
「はぁ・・・」
携帯のアルバムを見ながらあたしはため息を付いた。
そこにはつい一月程前から付き合い始めた恋人の顔がある。
さらさらした紅い髪、涼やかな目許、通った鼻筋、そして意志の強さを感じる薄い虹彩。
アイドルと比べても引けを取らないくらいのイケメンさん、元生徒の沢田慎だ。
卒業してから告白されたときには相手にもしなかったのだが
共に過ごしているうちに段々と惹かれていって、結局付き合う事にしたのだ。
恋人が出来て、すごく嬉しかった。
でも、なにせ生まれて始めての経験だ。
どうも慣れない。
遠慮もなく何でも言い合っていた仲だし、ふたりでよくつるんで出掛けてもいたし、
何をするにも気が合って、一緒に居るのがすごく自然だと思っていたのに。
その関係に今までと違う名前がついただけで、なんでこんなに緊張するんだろう?
もっと、彼女らしく可愛く甘えてみなくっちゃ、と思うのだけれど、
どうにも照れが先に立ってしまって素直になれない。
あいつは年下だし、ついこの間まで先生面して偉そうにしていた相手なのに、
どうやって可愛げを見せりゃあいいんだ。
この前のデートのときもそうだった。
交際を申し込まれた映画デートから数えて三回め、付き合い始めて二十日めの事だ。
この日は土曜日で、春めいた暖かな陽気だったから、ふたりで公園に出掛けたんだ。
花見にはまだまだだけど、梅園は花真っ盛りで、とてもいい匂いだった。
小道を回ってみようと言うことになって、はしゃいで歩いていたら足を滑らしちまった。
咄嗟に沢田が抱きとめてくれて、転ばずに済んだんだけど、はっと気が付いたら
沢田の顔が目の前にあって。
胸板に顔を押し付けていることに気が付いて。
かっと頭に登った血で染まった頬を見られたくなくて、思わず突き飛ばしていた。
沢田はバツの悪そうな顔をして謝ってくれた。
「ごめん・・・」
「いいよ!もうっ。」
ずんずん先へ行くあたしを申し訳なさそうに追いかけてくる。
あーあ、素直にお礼が言えればいいのに。
で、あのまま腕は組まないまでも手でも繋げば良かった。
結局、園内の喫茶店につくまで無言で縦一列で歩くあたしたち・・・
テーブルを挟んで座って紅茶が来ると、ようやく落ち着いてきた。
沢田はあたしの気を引き立てようと、色んな話題を振ってくる。
その優しい気遣いに感謝しながら、さりげなく場を盛り上げて、流れを変える。
沢田はあんなに良くしてくれるのに。
なんであたしはこう素直じゃないんだろう。
いつになったら素直になれるんだろう。
本当は好きで堪らないくせに。
もう一度、液晶画面の沢田の笑顔を見てあたしはため息を付いた。
それから三日後の日曜日。
あたしは沢田に呼び出されて、沢田の部屋に来ていた。
沢田の今の部屋は高校時代に住んでいた部屋ではなく、
神山駅からほど近いマンションの一室だ。
前の部屋よりも少し広くなって、風呂とトイレも別になっている少々贅沢な部屋だ。
相変わらずきちんと片付いていると言うか、シンプルで無駄なもののない沢田の部屋を
あたしはきょろきょろと見回した。
この部屋へは何度か来たことがあるのだが、付き合い始めてから上がるのは今日が始めてだ。
当たり前だけど部屋の中は沢田の香りがして、何となく落ち着かない。
きちんと整えられたベッドを見てどきりとした。
いけない、あたしは何を考えてるんだ。
「はい、どうぞ。」
「うぎゃ!」
考え込んでいたら後ろから急に沢田の声がして、もの凄く驚いた。
振り向くと湯気の立ったマグカップを両手に持った沢田が目を丸くして立っていた。
「ほら、コーヒー。」
「あ。ああ・・・サンキュ・・・」
可愛らしいマグカップは、色違いのお揃いだ。
一番始めのデートの日、ふたりで覗いた雑貨屋で売っていたものだ。
シンプルな柄と落ち着いた色合いが素敵で、欲しいなぁと思ったものの、
家では日本茶派だし贅沢することもないだろうと諦めたのだ。
「このマグカップ、どうしたんだ。」
「お前、随分気に入ってたみたいだからさ。
ここに置いてふたりで使うのもいいかな、と思って。」
沢田がそっぽを向きながら照れくさそうに言う。
へぇ・・・
わざわざ買いに行ってくれたんだ。あたしのために。
「沢田、ありがと。」
嬉しくって素直に感謝の言葉が出た。
沢田も嬉しそうだ。
「お、美味いじゃん。このコーヒー。」
濃いめに入れたブラックコーヒーは、あたし好みで酸味と苦味が効いている。
これもあたしのために買ってくれたんだろうか。ちらっと沢田を見ると
いつものように砂糖を少しだけ入れて、吹いて冷ましながらコーヒーを啜っている。
伏せた目の上の長いまつげがくっきり見えて、あまりの綺麗さにどきりとした。