たとえ愚かな猿でも、

幸せになれるだろうか。



Monkey Bites 4



三日後、ようやく回復した俺は一旦アパートへ帰る事にした。

まだ気分は晴れなかったが、身体がなおったせいか、俺は落ち着いてきていた。

久美子にあって、正直に自分の気持ちを伝えてみよう。

そうしてバカでガキな俺が捨てられるのだとしても、

俺の気持ちはずっと変わらないと告げてみよう。


そう決意すると、俺は出かける事にした。

既に日は暮れてかけていた。

この時間だと、学校へ行くべきだろうか。

考えながら繁華街に差し掛かると、雑踏をかき分けて、

数人の高校生がバタバタとかけてきた。

その制服が白金学院のものだと気がついて、俺はかけてきた方向を見やった。

案の定、少し先に人だかりがあり、怒号と悲鳴が響いてくる。

人の群れをかき分けて前へ進むと、いた。

騒ぎの中心にいたのはやっぱり久美子がだった。

殴り倒されたらしい白金生と、震えている女子高生。

チンピラらしいのが三人と、既に転がっているのが二人。

優勢と見て、俺はそのまま眺めていた。

ひらり、ひらりと相手を躱しながら、的確に急所を打っていく。

相変わらず鮮やかだ・・・

三人目が倒れたところで、久美子が白金生のほうへ目線を移した。

と、そのとき。

ドゴッ。

ふいに脇から出てきたチンピラの仲間らしいのが久美子に殴り掛かった。

久美子が腹を押さえて踞った。腹・・腹には・・・!

全身の血が逆流した。

「テメーら、殺すぞ。」

考える間もなく手が出ていた。

周りの風景がスローモーションのように見え、音がよく聞こえなくなった。

チンピラの顔に左右のフックを入れ、一続きの動作でそのまま鳩尾に右ストレート。

もうひとりが飛びかかってくるところをハイキックで制しておいて、回し蹴りを浴びせる。

久美子に飛びかかろうとしている残りのひとりの襟首をつかみあげた。

立たせておいてそいつの鳩尾にもストレートを入れ、

ゆっくりと飛んでいくのを確認すると、俺は久美子に駆け寄った。

「久美子ぉぉ!大丈夫かぁぁ!!」

「つっ・・あれ?慎、いつの間に。」

久美子は腹を殴られていた。

とにかく一刻も早く病院に連れて行かなければ。

俺は久美子を抱え上げると走り出した。

「えっ?お、おい、慎!慎てばっ。

あ、えっと、じゃあなー気をつけて帰れよー!」

久美子がさっき助けた生徒たちに手を振っているのを目の隅で見ながら、

俺はひたすら走っていた。

「おい。慎っ、もういいから下ろせ。」

うるせぇ、そんな訳に行かないだろ。

「大丈夫、自分で歩けるから。」

だって、一刻を争うんだ。

早く、早くしないと死んじまう・・・

「慎!」

大声で呼ばれて、俺はやっと我にかえった。

そこは公園の中だった。

「・・・とにかく、下ろしてくれ。」

苦笑まじりに久美子が言うのを聞いて、そっとその身体をおろす。

久しぶりに見た久美子は、細くて華奢で、男前で。

おだやかな顔で俺を見上げている。

「どうしたんだ?慎・・・

ちょっとばかし殴られたけど

これくらいいつものことだぞ。

ま、あたしも油断してたがな。」

ニッと笑ってそんなことを言う。

「腹は・・・腹は・・・?」

狼狽して問うと

「ああ、あんなもん、なんてことねーよ。」

ぽんぽんと腹を叩いて言う。

そうか、よかった・・・

俺は久美子の前に膝をつくと、腹に顔をうずめるように抱きついた。

そうか、無事なんだな。

よかった。

でもお前、生まれてこられないかもしれないんだよな。

俺が腑甲斐ないせいで。

俺が甘っちょろい覚悟でいたせいで。

「久美子っ!」

俺は血を吐くように叫んだ。

「おねがいだっ。俺の、俺の子供を殺さないで!」

久美子が何か言いかけたが、遮るように叫び続けた。

涙で声がかすれたが気にしなかった。

「久美子、俺、ホントにごめん。

こんなことになるなんて、

こう言う結果になるなんて、

考えてもみなかったんだ。

全然わかってなかった。

ホントにごめん。

お前ひとりに背負わせて、

ひとりで苦しめて。

知らなかった、わかってなかったんだ。

ひどいことした。」

「慎・・・」

「許してくれ。

いや、俺は許してくれなくてもいいから、

この子を殺さないで。

おれ、ちゃんと大人になるから。

急いでお前を守れるような大人になるから。

だから。

もう、あんなことしないから。

ちゃんと大人になってお前たちを守れるようになるまで

絶対にしないと誓うから。

俺、急いで大人になるから。

信じられねぇかもしれないけど。

頑張るから。

だから、俺たちを捨てないで・・・」

最後のほうは、泣き声になってしまってうまく言えなかった。

「えーと。あのさ、慎?」

しばらく経って、俺の真剣な訴えの答えにしては、

なんだか間の抜けた口調の久美子の声が聞こえた。

「お前、何か勘違いしてないか?」

「・・・え?」

「あたしは妊娠なんかしてないぞ。」

「まさか・・、もう・・おろしちゃった・・・のか?」

「ばかっ。あたしがそんな女に見えるのか?」

ごきっ。げんこつが降ってきた。

いってー。

「見えない・・な。・・え?あれ??」

「何を勘違いしているのか知らないけど

あたしは、はじめっから妊娠なんかしてないよ。

前にも言ったけど、今のお前と子供を作る訳には

いかないからな。」

「え?」

「だから、うちの組の面倒見てもらってる医者のところで

薬を貰って飲んでたんだ。子供は出来ねーよ。」

「堕胎薬・・・?」

「堕胎薬ってなんだよ。避妊薬だよ、ひ・に・ん・や・く!」

「でもお前、すっげぇ落ち込んで産婦人科から出てきたろ。

だから、俺てっきり・・・京さんもそんなこと言ってたし・・・」

「ああ?あれはだなぁ。ピルの副作用でやられちまって。」

「・・・」

「お前と最初に、その、ああいうことをしようと思ったときにだな、

お前の方はそう言う余裕もないだろうと思って、

知り合いの医者のところへ薬を貰いにいったんだよ。」

「・・・」

「そしたらあのもぐり医者、ちっとばかり危ないのをよこしやがってさ。

飲んでたら身体がおかしくなっちまって。

だるいし、熱は出るし、イライラするし、落ち込むし、大変だったんだ。

それで藤山先生の勧めもあって産婦人科に行ってきたんだ。

産婦人科の先生にも、えっらい剣幕で怒られちまったよ。

いい年をした大人がそんな薬に手を出すなんて、ってな。」

「そうだったのか・・・よかった。」

へなへなと力が抜けていった。

子供が出来た訳じゃなかったのか・・・

「安心したか?」

「うん。」

俺は、久美子の腹に顔を埋めた。

「ところでさ、ずっと電話くれなかったのは、やっぱ、怒ってたから?」

「えー、お前、いっくら電話しても出なかったじゃないか。」

「だって、着信なんか・・・」

言いさして気が付いた俺は、ポケットをまさぐる。

携帯電話はどこだ?

最後に見たのは。

京さんに会った日、ベッドから放り投げて・・・

そのままか。なんてこった。

「でも、その前は?」

「プリント、渡しておいたろ?読んでないのか?もしかして。

研修のお知らせ、置いておいたろ。

山奥で電波が届かないから、携帯は使えないって

言っておいたじゃないか。」

そう言えば、そんなものがあったような。

「でも、その後は。」

「お前の携帯の会社、大規模なネットワークトラブルで

メールの遅配とか接続できないとかで大騒ぎだったろ。

ニュースでもやってたじゃないか。」

そう言えば、なんども携帯会社からのお知らせがきていたな。

「久美子。よかった・・・」

ようやくほっとして立ち上がると久美子をそっと抱きしめた。

「慎、ごめんな。」

「何のことだ?」

「あたしはお前から逃げてた。ひとりで全部背負うとか言って

結局、お前に否定される事が怖かったんだ。」

「・・・」

「子供のこととか、将来のこととか、

それから、あ、あれのこととか////」

「あれって・・・あ、あれね////」

「逃げずにちゃんと話す。」

「うん、俺こそ気付いてやれなくてごめん・・・」

俺たちはしばらく静かに抱き合っていた。

「それとな、お前。さっき言ってたことだけどな。」

ついと腕を伸ばして俺の前に立ち、顔を覗き込みながら言う。

「なに?」

「急いで大人になんか、なろうとしなくなくていいんだぞ。」

「どうしてだ?俺は。」

「若いときにな、一杯いろんなことして、

一杯いろんなこと感じて、

友達とつるんでバカやったり、

失敗しておちこんだり、

そんなことをたくさんたくさんやっておかないと

ちゃんと大人になれないもんなんだよ。

ガキの間は、きっちり甘えて、精一杯右往左往して

そうやって自分を見つけるもんだ。

いろんなことに兆戦してみて、今をたくさん楽しんでくれ。」

「・・・」

一生懸命話す久美子を、俺はじっと見ていた。

「あたしはずっとお前といる。

お前の保護者としてではなく、恋人として。

今のお前も、将来のお前も、どっちもずっと愛してる。

だから、お前も一生懸命『未熟者』をやって

そうしていつか、ふんどしの似合うでっかい男になれ!

楽しみに待ってるから。」

そうか、ありがとうな。

こんな未熟者の俺でも愛してくれて。

嬉しくて照れ隠しに憎まれ口を言ってみる。

「なんでふんどしが出てくんだよ。」

「ああ?基本だろ?」

「なんでだよっ。」

ひとしきり笑い合って、俺たちはまた見つめ合った。

いま久美子を初めて見たような気がして、不思議な感じだった。

「お前の部屋に行くか?」

「いや、送っていくよ。」

「そうか。」

俺たちは、どちらからともなく手をつなぎ、黒田への道を歩き始めた。

指を絡めてつないだ手のひらから久美子の温もりが伝わってくる。

愛おしさが胸にあふれてたまらない自分がいた。

激しく抱き合わなくても、たったこれだけで、愛の交歓て出来るんだな。

俺は少し、大人になった気がした。