それ以来俺は。

あいつに触れることが出来ずにいる。


高校のときは、意識して触らないようにしていた。

触れてしまったら穢してしまうような気がして。

醜い汗にまみれた自分の臭いがあいつに移ってしまいそうで。

俺の罪深い欲望があいつの前にさらされるのが怖くて。

俺はあいつにはさわれない。


細いうなじや白い二の腕、時折見えるくびれたウエスト、額の汗、赤い唇。毎日遠くから見ていてまぶしいほど魅せられるのに、この上なく美しいと感動するのに、好きだと思う気持ちがあふれて止まらないのに、衝動はおきない。


ただ純粋に心だけがあいつを求めてる。

俺の中の「男」は目の前の山口には反応しない。

そうしてそれは、告白しても変わらなかった。



だから代わりに想像の中で、妄想の中で、俺は何度も何度もあいつを犯す。

赤い闇の中で俺の奴隷と化したあいつを翻弄しながら乱暴にあいつの身体のすべての部分に俺のしるしを刻み付けながら、自身の手で熱を放つ。


時には泣き叫び許してくれと乞い願うあいつをせせら笑いながら、嫌がるあいつの悲鳴を聞きながら快感に打ち震え、無理矢理押さえつけて征服感に酔う。めくるめくようなの陶酔の後、残るのはざらざらとした後悔と癒しえない胸の痛み。


それでも、現実の山口に触れることが出来ない俺は、押さえきれない熱を冷ますすべを他に知らず、赤い闇に狂ったようにのめり込み、衝動に身を任せて翻弄され続ける。

少しずつ俺は壊れていく・・・


そうやって、引き裂かれた心と身体をかろうじて支えていた俺は、山口が俺を受け入れてくれたとわかった時、うつつとゆめの狭間で、立ちすくんでしまったのだ。


俺の愛しい恋人が、やっと心をくれたのに。

あの日のあいつからの口付けで、俺は気付いてしまった。一番愛しくて、一番大切にしたくて、一番無茶苦茶にしてしまいたい恋人に触れられない自分に。


そして、その日から想像の中であいつを抱くことすら出来なくなった。


衝動が来てもなだめるすべもなく、学業に打ち込んでもバイトで激しく肉体を酷使しても、解消されない。悶々とした状態でうつうつと過ごしていた俺は、ここ四日ほど全くあいつに連絡を取っていないことに気付いていなかった。最後の電話で何かひどく自己嫌悪に陥ってしまった俺は、あいつの声を聞くのが怖くなってしまって。その後はかろうじてメールだけ交わしていたのだが、それにすら多大な気力が必要になってしまい苦痛のあまりに放置してしまっていたのだ。


そして今日。


ピンポーン


やっとのことで家にたどり着き、明日が土曜日という事もあって早くから酒をあおっていた俺は、言うことを聞かない身体をむりやり床からひっぺがしてふらふらしながら玄関の戸を開けた。


「慎!連絡が取れないから心配になってきてみたんだ。あー、ひっどい顔してるなぁ。どうした?ん?お前の可愛い色女に相談してみろよ、ほれほれ。さ、こんなところで突っ立ってないで中に入れよ。元気が出るもんいろいろ買ってきてやったぞー。ってお前もう飲んでんのか。まあいいや。今日は特別許してやる。ほら、あたしもビール買ってきたんだ。つまみもたくさんあるから。一緒に飲もうぜ。飲んでみんな吐き出しちまえ。んでもってぐっすり眠れば若いお前の悩みなんか吹っ飛ぶってもんだ。お、どうしたんだよ、黙りこくって。ん?何か言いたいことがあるんだろ?ほーれ、少しはなんか言ってみろよ。」


立て板に水と言った調子でひとりしゃべっていた山口は、大荷物をもってずかずか上がり込んできて、ベッドの脇にどっかと座った。


「い、いや。口はさむ隙ねーし・・・」


「お?そうかそうか。ははははは。」


テーブルに所狭しと食べ物を並べ、ビールを出すと


「ま、飲め飲め。」


「・・・」


「かんぱーい(ぐびっ)。ぷはーっ。」


「・・・どうしたんだ?急に。」


「へ?お、そのイカゲソとってくれ。ああ、七味も。うん、さんきゅ。」


「で・・・?」


「あ、そうそう(ぐびっ)。お前携帯の電源切ってるだろ。」


放っておいた間に電池切れになっていたらしい。


「え・・・あ・・・わりぃ・・・」


「気付いてなかったのか?・・・そっか・・・ま、飲めよ。」


「ああ・・・」


「ほれほれ、喰え。」


「なんでこんなに一杯・・・」


つまみや総菜がたくさんあって、柿ピーやヨーグルト、バナナまである。500mlの缶ビール1ダースってよく持ってこられたな・・・


「(ん、うぐ、ごくん。)そりゃあお前が弱ってると思ったからさ。精つけないとなぁ。ただでさえそんなに痩せっぽっちなのにさ。お前、(もぐもぐ)ちゃんと食べないからつまんないことでごちゃごちゃ悩むんだぞ。ちゃんと食えばそれだけで若者の悩みなんざ八割がた解決するもんさ。かっはっは。」


一人で食って一人で笑っている。

食欲のない俺は漬け物なぞつまみながらビールをちびちびやっていた。


「・・・俺が何悩んでるのか、知ってんのかよっ・・・!」


「いーやぁ。」


「じゃ、つまんないとか・・・言うなよっ・・・」


「ははは。でもお前それ、お前一人で悩んでるだけで解決するような話なのか?」


「・・・いや・・・」


「じゃあ、話してみたらどうだ?(ぐびっ)ん?」


「・・・」


「じゃあさ、せめて分かち合おうよ。」


「・・・(ごくごく、ふぅー)・・・」


「それとも・・・」


「・・・それとも?」


「(ぐびっ)・・・さわやかな汗をかいてみるか?ふたりで/////」


「!!」


「たはーっ。わりぃわりぃ///こっぱずかしいこと言っちまった~///忘れてくれ。」


「・・・ああ。」


バシッと俺を叩いた。いてーっつの。


何となく気まずくなって、それからしばらく黙ったまま食べたり飲んだりしていた。

そのうち、


「ちょっと、手洗い借りるな。」


「ああ。」


ややあって、なんだか赤い顔をして戻ってきた山口は、なぜかもとの席には戻らず、俺の隣に座り込んだ。肩が触れそうな距離にいるあいつの気配に俺は、酔っていたんだろう、いつもならふたりでいるときには出てこないはずのあの衝動がザワリと湧くのを感じていた。


「慎・・・」


山口の手が床の上の俺の手に触れた。途端にあの赤い闇が俺の中に立ちのぼり、同時に脳裏に苦痛に顔を歪めるあいつの顔がフラッシュバックした。


「わ、わわ、わ。」


そうっと身を寄せてきたあいつを、俺は思わず突き飛ばしていた。こんな状態であいつに触るわけにはいかない。


きっと滅茶苦茶にしてしまう。穢してしまう・・・


ベッドにこてんともたれたあいつは、尻餅をつくみたいな無様な格好で後ずさりする俺を見てちょっと驚いたようだ。俺はそのまま逃げるように台所まで来て、水を飲み、呼吸を整えた。ふと、上がりがまちをみると、あいつの荷物が置いてあった。


普段持ち歩いているものよりも一回り大きいバッグだった。

そう、一泊旅行にちょうど良さそうな・・・そこまで考えたあとは身体が自然に動いていた。部屋に入り、なんだかしょんぼりとした様子で俺のベッドにもたれかかっているあいつの姿が目に入った途端。赤い闇が俺に襲いかかってきた。


あまりの惑乱に最後の理性のかけらを手放した俺は。

その瞬間、けだものになった。