※原作・卒業後、おつきあい前。「刹那の夢」「那由他の現」の続編。
翼の勇者
その日、20歳の誕生日を沢田慎はひとりで迎えた。
何と言う予定もなく、夏休みだと言う事もあって昼近くまでクーラーの効いた部屋でのんびり過ごし、午後から映画にでも行くか、などと考えていた。
そこへ、一本の電話がかかってきた。
ろくに着信画面も見ずに出る。相手はいきなり言った。
「おい、今すぐうちへ来いよ!」
「・・・山口か?」
「おう!待ってるからな!」
待て、誰も行くとは言ってないぞ、と言う言葉は相手に届かずに電話は切れて、慎はため息をついた。久美子が強引なのは今に始まったことではないが、最近特にひどくなっている。こんな風に一方的に話を進めても慎が断る訳はない、と信じているようだ。
信頼関係が出来ているのなら何よりなんだが。
慎は考える。舎弟になっただけ、とも取れるので片思いをしている身としては複雑だ。やれやれと思いながらも、諦めていただけに誕生日に久美子の顔を見られるなら言うことはない、と慎は支度をはじめた。
黒田への道を辿りながら、簡単な手みやげを整える。
じきに盆の入りであることを思い出して、お供え物にもなるようにと水羊羹の詰め合わせにする。
「ちは。」
「おう!慎公じゃねぇか。今日はどうしたぃ。」
「山口に呼ばれてきたんだよ。」
「へ?ああ、お嬢がなんか朝からばたばたしてたのはそのせいか。奥にいるよ。通んな。」
「サンキュ、京さん。」
庭に面した座敷へ行くと、すっかり夏支度だった。
床の間にも涼しげな花が生けられ、窓には簾がかけられている。
打ち水がされているせいか、外からの風がさわやかだ。
「山口。」
「おう、沢田。暑いな。」
「これ・・」
手みやげを出すと、いつも悪いなぁなんて言いながら奥へ持っていった。
座敷に入ってきた龍一郎に挨拶をしていると、ミノルが素麺を運んできた。
「さあ、沢田も坐れ。早いもん勝ちだからな。」
昼食が済むと、暑いからと言って昼寝、そのあとは庭に出した簡易プールでびしょびしょになるまで水遊びだ。慎は何のために呼ばれたのかがわからず、戸惑いながらも久美子の笑顔が嬉しくて、なすがままになっていた。
びしょ濡れになったからと風呂をよばれて、浴衣を借りる。
下着の代わりにと京太郎に褌を押し付けられて、一瞬こわばった慎だったが断ろうにも着てきた服は既にミノルが洗ってしまったあとだった。
「お前もちっとは男っぷりが上がるってもんだぜぃ。」
カッカッカッと笑いながら言ってしまった京太郎を慎は恨めしげに見たが、背に腹は代えられない。何とも居心地の悪い思いをしながら褌を締めた。
ようやく、久美子の用件がわかったのは夕食の時だった。
如何にもご馳走と言う感じの料理がずらりと並び、たくさんの酒が用意されている。
そして、食卓の真ん中に大きな誕生日ケーキが置いてあった。
「さわだしんくん おたんじょうびおめでとう」と書かれたチョコプレートが乗っている。
「沢田君。久美子の奴がどうしてもって言うんでな。ささやかだが宴席を用意させてもらったよ。」
「沢田、20歳の誕生日、おめでとう!」
「慎の字もこれで大人の仲間入りだな。」
「おめでとうさん。」
「「慎さん、おめでとうごぜぃやす!」」
口々に言われて、慎は顔が一気に熱くなった。
「・・・・っ!」
思いがけなかったせいもあって咄嗟に言葉も出ない。
頭を下げるだけで精一杯だった。
持たされたグラスになみなみとビールが注がれ、皆で乾杯をする。
こくこく、と喉を鳴らしてビールを飲む慎を、久美子が嬉しそうに見守っている。
「やっとお前と一緒に酒飲んでも咎められないようになった。」
「へ?今までは駄目だったんですかい?」
「バカか、オメェは!」
「イテッ、すいやせん。」
賑やかに笑い合う黒田一家を見て、慎は温かい気持ちで一杯になった。
こんなに温かい人たちなのに、外に出るとなんでああなるんだか。
すっかり馴染んだ慎は皆に付き合ってついつい酒を過ごしてしまった。
そんな慎の様子を見て久美子もなんだか嬉しそうだ。以前は稼業にかかわるのを極端に厭がっていたものだが、今は家族とかかわると言う雰囲気になってきているので久美子の態度も違うらしい。
真夜中近くなってご馳走も酒もあらかた片付き、龍一郎が寝所へ引き上げると、久美子は慎を誘った。渡り廊下を通って離れの方へ行くらしい。
ミノルとてつがそれに気付くと
「おう、お前達も来い!」
久美子は言って、結局台所で後始末をしていた広樹も呼ばれて、皆でゾロゾロと移動をする。
久美子が一同を導いたのは、離れになっている湯殿の脇に設けられた物干し台だった。湯殿のすぐ隣には洗濯場があって、その屋根部分に物干し台が作ってあるのだ。古い建物だけに平屋とは言えかなりの高さで、登ると、ぐるりと周囲が一望できる。
「ちょっと月が明るいなー。」
久美子が残念そうに言う。
「何があるんだ?」
「知らないのか、ペルセウス座流星群だよ。今日がピークなんだ。」
「へぇ・・・」
よく晴れてはいるが都会の光の中じゃあ見えないだろう。
そう言うと、今夜は神山町でも中学校の天文部が流星群観測のイベントをやっていて、便乗して客を呼び込もうと皮算用した商店街の協力で街の灯りを消してくれるんだそうだ。
黒田の屋敷の回りは、神山神社の境内と黒田の持ち物で空き家になっている敷地があるだけだから、光がほとんど見えなくて絶好の観測ポイントと言う訳だった。
「ほら、お前らも寝っ転がれ!」
言われて渋々、皆で並んで寝転がると、都会の空とは思えないほど黒々とした空をバックに星空が広がっているのがよく見える。物干し台の床はひんやりしていて、吹き渡る風が爽やかだった。
「ふぇー、気持ちいいっすねぇ。」
「ほんと、極楽っすよ。」
もとより星なんかに全く興味が内3人は、酔いも手伝ってほどなく寝入ってしまった。
「ちっ、こいつら・・・」
言葉とは裏腹にちっとも悔しそうに聞こえない口調で久美子が言った。
「流れたぜ。」
慎が声をかけると、
「あ、見損ねた!お前、願い事言ったか?」
「んな暇ねーよ。」
半月が少々明るいが、気を付けて見ていれば時々流星が落ちてくるのを見ることが出来た。
寝入ってしまった3人に気を使っているのか、久美子は慎のすぐ近くまでにじり寄って耳元に口を寄せて囁いている。久美子の髪がくすぐったかった。

久美子の呼吸を感じる。
温かい体温を感じる。
慎の手のすぐ横に久美子の手がある。その手に触れようかどうしようか、しばらく迷って結局やめた。
頭上ではペルセウスが剣を振り上げてアンドロメダに手を差し伸べている。
空に固定されて永遠に届くことのないその手を、慎はじっと眺めていた。
神話では岩に繋がれた姫を勇者は救い出して攫っていくんだよな。
色んなしがらみで雁字搦めの山口を、攫っていける翼の靴が俺にもあったなら。
慎はそっとため息をつく。
また一つ、星が流れてその刹那、動くはずのない星座の星が流れてふたりの手が合わさったように見えた。
------
こんにちは!
慎ちゃんお誕生日企画ってことで、四組の慎久美全員分のお誕生日SSに挑戦してみました。これは「一生の不覚」のふたりのお話です。「刹那の夢」「那由他の現」の続編で、「一生の不覚」の二週間くらい前です。なかなかヘタレが返上できません(笑)。
2009.8.22 ツキキワにお誕生日企画として投稿
2010.8.20 サイトにアップ
イラスト:尚様