原作・卒業後、お付き合い前。「一生の不覚」の半年くらい前。



節分の日



 二月に入って慎は、本格的に始まった試験の勉強に追われていた。一科目とも落としたくなかったし専門へ進むには上位の成績を保っておかねばならない。合間にやっている司法試験の勉強や社会勉強のために続けているバイトも休んで、試験日以外はほとんど外にも出ずに過ごしていた。


 その日、慎は語学の試験をふたつこなして家へと急いでいた。明日は試験は無いが明後日からは苦手な科目の試験が団子になってやってくるのだ。休んでいる暇はない。


 と、そこへ携帯が鳴った。この着メロは久美子専用のものだ。


「おい、沢田!今すぐ神山に来い。」


「はぁ?なんでだよ。俺は忙しいんだよ。」


「うちで待ってるから、すぐ来いよ!」


「おい、すぐって、ちょっと待て、」


 慎の抗議の声は当然の様に無視されて、切れた電話を見つめながら慎はため息をついた。この自分本位な女に長年片思いしている身としては、たとえ試験中であったとしても断ると言う選択肢はどこを探しても出て来ない。


 慎が黒田の屋敷に着くと、工藤が変な格好をさせられて庭に立っているのに気が付いた。赤の全身タイツに虎革のパンツ、頭には角がついている。隣には全身タイツの色が青な以外は工藤と全く同じ格好をさせられたカルロスが立っていて、慎はやっと今日が何の日なのか思い出した。


 そっか、豆撒きか・・・


 そんなことをやったのは幼稚園の時が最後だ。


「お、沢田。よく来たな。さ、上がれ上がれ。」


 縁側から上がって座敷に招かれると、既に黒田一家の衆が勢揃いしていて、慎は龍一郎に挨拶して久美子の隣に座る。それを合図に龍一郎が神棚に手を会わせ、升に盛られて供えてあった豆を京太郎に降ろさせる。


「親父っさん。どうぞ。」


「うむ。」


京太郎が差し出した升からひと掴みの豆を取ると、


「鬼はー外ーっ!」


大音声で呼ばわりながら庭に向かって投げた。


「さ、野郎ども、後に続けぃ!」


「「「「へいっ!!」」」」


 京太郎の掛け声で皆一斉に豆を掴んで、あちこちに投げはじめた。


「鬼はー外ーっ!」


「福はー内ーっ!」


 鬼役の工藤とカルロスがここぞとばかりに追い回されるのを眺めていると、久美子が升を持って慎のそばにやってきた。


「ほら、お前も撒けよっ。まだまだ撒かなきゃならない所はあるんだからなっ。」


 散々引っ張り回されて、豆を撒かされ、声が小さいと怒鳴られて、それでも慎は楽しそうだった。試験が終わるまでは会えないと思っていたし、たとえそれが甘い用件でなくてもわざわざ呼び出してくれたのも嬉しかった。


 豆撒きが一通り終わると食事が用意されて、鬼の扮装のままの工藤とカルロスも加わって賑やかな酒食の席となった。


「なんだ、コレは?」


 慎は食卓の上の切られていないままの太巻きを指した。


「恵方巻だ。お前知らないのか。」


「なんでも縁起もんだそうで、お嬢が是非にと言うんで玉寿司の親父に作ってもらいやしたんで。」


「その年の恵方を向いて丸かじりすると、一年間は無病息災で過ごせるんだ。」


 得意そうに説明する久美子に、慎は呆れて言う。


「そりゃ寿司屋の親父に騙されてるんじゃないのか、お前。」


 言った途端、ぎらり、と皆の顔が殺気立ったのに気が付いて、慎は慌てて訂正する。


「あ、まあ、お前が言うなら確かだろうな。」


「うんうん、わかりゃいいんだよ、沢田。」


「そうっすよ、お嬢がいい加減な事、言う訳ありやせんぜ、慎さん。」


「さ、じゃあ頂こうか。おじいさんからどうぞ。」


「今年の恵方は東北東ですぜ、親父っさん。」


 龍一郎が恵方巻を一本取ると、皆次々と手に取るから慎もそれに倣って恵方巻を持つ。皆一斉に方角を確認して恵方を向くと、神妙な顔で恵方巻を齧り始めた。


 それはなかなか奇妙な眺めで、密かに慎は笑いをかみ殺していたのだが、ふと隣に座る久美子を見てどきりとした。黒く太い恵方巻を両手で持って、上の方を一生懸命食べている様子は、恵方を向く上目遣いと相まって酷く卑猥な印象だ。


 久美子の柔らかな唇が、太いそれを銜えてぱくりと海苔としゃりを齧り取ると、噛み切れなかった具が少しだけ引きずられて、久美子はそれを舌で絡めとる。


 ゆっくりと咀嚼するその口元に惹き付けられて、ほとんど聞こえないはずの咀嚼音ですら耳の奥にがんがん響くようで、期せずして身体の奥から湧き上がる熱に慎は苛まされた。


 久美子のその姿を見てイヤらしい想像をする男は黒田一家にはいないのだろうな、と思いかけた慎は、隅の方で呆然と久美子を見ている工藤に気が付いて、ぎろりと睨んでやった。京太郎も気付いたと見えて工藤に酒の追加を取りに行かせ、慎の方を見てにやりと笑った。


「おい、若大将。ちっとも減ってねぇじゃねぇか。お気に召さないかい。」


 ニヤニヤしながら聞いてくる京太郎を無視して、慎はやけくその様に恵方巻にかぶりついた。この所の忙しさでろくなものを食べていないから、このご馳走はありがたかったのだ。


「ん?なんだ、沢田。お前、ちっとも減って無いじゃないか。どうした?」


 無邪気に聞いてくる久美子の笑顔も、今は憎らしい。

 この熱をどうしてくれよう。


 取り敢えず、家に帰ったらまず風呂だ。そうでもしないと今夜は眠れそうにない。慎はそれでももう一度恵方巻を頬張る久美子を目に焼き付けると、諦めたように自分の分を食べ続けた。


2011.2.24 尚様のイラスト追加

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こんばんは。


 関西では一般的だそうですが、関東の方では恵方巻の習慣など元々ありませんでした。関西寿司のチェーンが仕掛けて、この十数年程で徐々に広まり今ではスーパーもテレビも当然のように恵方巻恵方巻言っています。


 この習慣、元々、廓遊びだったんだそうで、芸者さんに太くて長いものを食べさせて、その様子を眺めて楽しむ、と言う趣向のものだそうで、露骨なエロより妄想の方が萌えると言う誠に日本人らしい風流な習慣ですなぁw


 と言う訳で、上の由来を知って思い付いた妄想です。


 お付き合いありがとうございました。


2011.2.5


 わたくしの心の萌友、尚様が素敵な挿絵を書いて下さいました♪ 久美子さんの口元をガン見する慎ちゃんの顔がとってもラブリーです。眉根を寄せて一生懸命かぶりつく久美子さんの顔が、本当にアレを思い起こさせて、エロティックです。さすが尚様♪

 ありがとうございました!


2011.2.24


双極子拝