原作・卒業後、おつきあい前。2008はなかったことになってます。

「一生の不覚」の続編です。



一生の不覚 2



沢田の両手があたしの両手首をつかんで壁に押し付けた。


もう鼻先が触れそうだ。

あいつの吐息が熱い。


あたしは観念して目を瞑った。


「・・・・・・・・」


次に起こる事を待ち構えていたあたしは、いっこうに何も起きない事に戸惑って目をあけた。沢田はそのままの位置でじっとあたしを見つめている。


「・・・好きだ。」


まっすぐに視線を合わせたまま低い声で沢田がつぶやく。

かーっと頭に血が上る。


「お前の中に少しでも俺と同じ気持ちがあるのならば、残りの距離はお前が埋めろ。」


そう言って沢田は目を瞑った。


あたしからしろって言うのかよっ。

冗談じゃねぇ。

んな事出来る訳ねーじゃん。

この話はこれでやめだ、やめ。


そう思ったのに、沢田の唇から目が離せない。

幾分浅い息づかい、切なげに震える長い睫毛、

わずかにだけど辛そうにしかめられた眉・・・


こいつも精一杯なのか。

思った途端、深い情愛の気持ちが湧いてきた。

それと自覚する前に、あたしは沢田に唇を寄せていた。

ちょん、と唇の先に温かくて柔らかいものが触れた。


一瞬、色の薄い瞳が驚いたように見開かれ、あたしの顔を認めた途端

その瞳が燃え上がった。


と、同時につかまれていた両手首ごと持ち上げられて、くるっと身体がひっくり返ったかと思うと、あっという間に組み敷かれ、狂ったように熱い口付けを受ていた。

むき出しの素肌に、沢田の肌が揉み込まれるように押し付けられる。


熱い・・・


柔らかい唇と舌が身体のあちこちを這い回ってくすぐったい。

触れられた所が、火のように熱くなる。

初めてなのに、何か懐かしいような沢田の身体に、いつしかあたしは溺れていった。


沢田・・・






嵐の中でもみくちゃにされているような無我夢中の、でもしっかりとあたしの中に沢田のことが刻まれたひとときが過ぎて。ふと我にかえって、あたしは呆然としちまった。


どうしよう。


とてつもなく取り返しのつかないことしたような気がする。

やばい、なんかわかんないけどやばいぞって気持ちが沸々と湧いて来た。慌てて起き上がると、下腹がズクリと痛んだ。あっ・・・見るとシーツに一筋、真っ赤な血の痕があった。


どうしよう、あたし・・・


腰にバスタオルを巻いただけの沢田が赤い髪を拭きながらバスルームから出て来た。


「お、起きたな。わりぃ、寝てたから起こさない方がいいかと思って

先にシャワー使っちまった。ん?どうした?」


シーツを見つめて呆然としているあたしに気が付くと、沢田は深い笑みを浮かべた。


「俺が、お前の最初の男だ。」


満足そうに呟いて、あたしの前にしゃがみ込むとついばむような優しいキスをしてくれる。

静かな瞳に吸込まれそうだ。そのままそっと抱きしめられて、温かい胸の中にふと安らぎを見いだす自分に気付いた。


あたし・・・


素肌を隠すように巻いていたタオルケットごと抱き上げられて連れて行かれる。


「わぁ!なんだよ/////」


「ん?そのままじゃ、気持ち悪いだろ。洗ってやるよ。」


んな恐ろしいことをにっこり笑って言うんじゃねぇ!


「・・・下ろせ。自分で歩ける。」


自分でもビックリするほど冷たい声音で言ってしまった。

どうしよう、傷つけただろうか。

何も言わずそっと下ろしてくれた沢田は、あたしをぎゅっと抱きしめると腕から解放してくれる。心配そうな視線を避けるようにあたしはそそくさと浴室へ向かった。沢田が張っておいてくれたらしい、いい香りの立っている綺麗な色の湯にざぶんとつかる。


正直、あの瞳から逃げ出せてほっとしていた。

ぶくぶくと鼻先まで沈みながら考える。

あたしはどうしたいんだろうか。

沢田のことは気に入っている。

身内みたいな、親友みたいな、弟みたいな感じで好きだった。

でも男として沢田のことを好きなのか、と言われるとちょっと違うような気がする。


では、なぜ抱かれてしまったのか。

雰囲気に流されて?


決して嫌ではなかった。

ラブホテルに潜入するってときに一緒に来てくれたのは嬉しかった。

心のどこかでこう言う関係を望んでいたから、誘ったのだろうか。


少々年は若いが、男としての沢田が「極上」の部類に入ることは間違いない。決して自分を卑下するつもりはないけれど、女としての魅力に乏しい自分にはもう二度と回って来ないんじゃあないかってくらい、素晴らしい相手だ。


びーなホステスさんに群がる男どものように、遊んでみたかったんだろうか。たとえひと時でも、自分のものにしてみたかったんだろうか。あたしを好きだと言う沢田の気持ちにつけ込んで、この年になっても男を知らない自分を捨てると同時に身体を餌に沢田をつなぎ止めようとしたのかもしれない。


さもしい自分に嫌気がさして来た。どうしよう。結論もでないまま入浴をすまし、見当たらない服の代わりに備え付けのバスローブを羽織る。


ふと、脱衣所のゴミ箱を見ると避妊具の外袋が捨ててあるのに気が付いた。

まだ20歳になったばかりの沢田が、きちんとあたしのことを考えて行動していたことに、はじめて思い当たって感動した。


行為の最中も、これ以上ないと言うくらい気を使って初めてのあたしを優しくリードしてくれた。自分だって余裕はなかったのだろうに、そうなる前の強引さとは正反対に少しずつゆっくりとあたしの心と身体を解きほぐしてくれて・・・


バタン。

力加減も気にせず脱衣所を飛び出すと、沢田がビックリして立ち上がる。


あたしと同じバスローブを着て、先ほど支配人が置いていったご馳走の並んだサイドテーブルの横で心配そうな顔をしている。


「どうした?随分ゆっくりだったから、逆上せたか?」


「・・・・」


無言で沢田の胸に飛び込む。


「!!・・・どうした?らしくねーじゃん。ん?」


「・・・・初めてだった。」


なんて言っていいかわからなくて取り敢えずそんなことを口走る。


「うん。気が付いてた。」


「初めてだったんだっ!」


「うん。嬉しいよ。」


背中に腕が回されて、ぎゅっと抱きしめられる。

その態度に安心して、甘えるように繰り返す。


「初めてだったんだからな!」


「うん。すっげぇ嬉しい。」


「どう落とし前付けてくれるんだよ!どうしてくれるんだよっ。初めてだったのに。

あたし、あたし・・・」


「俺の一生と引き換えるよ。」


「・・・・」


俺の人生、全部お前にやる。 お前以外の女は一生抱かない。不足か?」


「・・・・(ぐすっ)」


涙があふれて来る。

不足じゃない、不足じゃないけど。

でも、ちがうんだ。


「不足か?来世も付いてるぞ。」


「あたし、どうすればいいんだ・・・どうすればいいのか、わからないんだ・・・」


「・・・・・」


「・・・(ヒック)・・・」


不安なんだ。何かが間違っている気がして。


「そんなの、簡単だろ。」


おでこにコツンと沢田の額が当てられた。


「・・・?」


「ひとこと、俺に言えばいいんだ。」


「・・・なんて?」


「『沢田が好きです』ってさ。」


「!」


「認めちまえ。お前は俺に惚れてんだよ。」


「ちがっ・・・」


沢田の瞳から逃れようとじたばた暴れる。それでも腕の中からは出られなかった。

強い力で抱きしめられているわけでもないのに。


「認めろ。お前は、先公のくせに6歳も年下の元教え子に惚れてて、

極道一家の孫娘のくせに刑事局長の息子に惚れてんだよ。」


「・・・なっ何言って・・・」


「俺はな。6歳も年上の元担任教師に惚れてるし警察幹部の親父のことなんかぶっ飛ばしちまえるくらい、極道の孫娘に惚れてんだ。」


「・・・・////」


「さっき、抱き合ったとき、お前、んなこと少しでも考えたのかよ。違うだろ。立場とか世間体とか、取っ払っちまえば、俺に抱かれるために俺の懐に飛び込んで来たお前だけが残るんだよ。・・・それとも、嫌だったのか?」


嫌じゃない、嫌じゃないけど。


「・・・・」


「俺にあんなことされて、それでも受け入れたお前は偽りだったのか?」


「・・・・」


「な?認めちまえ。楽になるぜ。」


あのとき、握った拳をなぜ下ろしたのか。

誘われるままに口付けたのはなぜだったのか。

沢田の背を巻き締めたのは。

裸の胸に縋り付いたのは。


そうか、そうだったんだ。


さっき風呂場で辛かったのは、この気持ちを認めなくてもすむように自分に嘘をついていたからなのか。立場とか世間体とか、大人の打算とか、臆病とか。そんなものに捕われて見えない振りをしていたってことか。


それならば。


「・・・・うん・・・・・認める・・・」


小さな声でやっと言えたその言葉を聞いた時の沢田の顔を、あたしは一生忘れないだろう。

愛情と幸福に溢れて、満足そうで、そのくせなぜかほっとしたみたいな、してやったりみたいな、でも嬉しそうなその顔を見ながら、ああ、こいつ、いい男だなぁってあらためて思ったんだ。


「じゃあ、決まり。俺と付き合お。な?」


「・・・・うん。」


婉然と微笑んで沢田がキスをしてくれる。


「一生大事にするから。」


「うん。あたしも・・・」


「ん。」


「あたしも、一生お前を大事にする。」



それからせっかくだからと、乾杯し、沢田がせがむのもあってもう一度抱き合った。

一度目よりも更に気恥ずかしくて、でも心の中までぽっと温かくなるような、そんな経験だった。


「山口、愛してる・・・」


コトが終わったあとも何度も何度も沢田が囁く。

慣れぬ身体の痛みさえも愛おしい。

幸せそうな瞳で見つめられてまた赤面する。


まだ湿り気の残っている赤い髪を撫でながら、こいつには叶わないなぁと思う。

きっと、なんでも願いを聞いてやっちゃうんだろうな。


主導権は完全に握られちまった気がする。

元とは言え教え子にハマっちまうとは、山口久美子、一生の不覚。

しかもそれを喜んでいるんだから始末に悪い。


これから始まる沢田とのつきあいを思って、あたしは幸福感を噛み締めた。


イラスト:尚様