※原作・卒業後、おつきあい三年目。
われもまた くれないなりと ひそやかに
俺が男だって事、忘れてないか?
これは俺の男としてのけじめ。
男の矜持、ってやつなんだ。
たとえお前でも否定はさせない。
吾亦紅 プロローグ
バシッ。
本気で振り下ろされた平手打ちは、ぐっと耐えてもたたらを踏むほどの威力だった。
瞬間、目の前が真っ暗になって火花が散り、口の中に鉄の味が広がった。
反射的に手でぐいっと拭うと、手の甲に血が付いた。唇も切れている。
久美子がわなわなと震えながら、俺を睨みつけている。
腕は俺を殴った時に振り切られた格好のまま、宙に止まっている。
「ぜってぇ許さねぇからな。」
怒りのあまりか、静かな低い声になっている。
「関係ないね。」
俺も目をそらさずにはっきりと言った。
「んだとぉ?ごるぁ!」
「関係ないって言ったんだ。これは俺の問題だ。たとえお前でも止める事は出来ないね。」
「てんめぇ・・・」
ぐっと拳が握りしめられた。
第二弾がくるだろうか?
俺は考えながら言葉を選ぶ。
「とにかく、事はもう始まっちまったんだ。俺の意思は変わらない。俺の覚悟も変わらない。俺の人生がお前のものだと言う事実も変わらない。」
「・・・」
握った拳がぶるぶると震えている。
「お前が未来永劫、俺のものだと言う事実も変わらない。
それとも、お前はたったこれだけのことで、俺が変わるとでも言うのか?
なぁ、これだけのことでもう俺を愛せねぇの?」
近づいて行ってそっと頬に手を伸ばす。
息がかかるくらい接近して囁く。
「なぁ、俺たち、愛し合ってたよな。誰よりも深く結びついて誰よりも近くにいたよな。これは俺のお前に対する愛の表明なんだ。俺はお前の愛しい男だろ・・・その俺を信じてくんねぇの・・・?」
久美子の手が俺の襟元にかけられた。
「久美子・・・」
囁いて久美子の顎をくいっと上げ、唇をつけようとしたその瞬間。
「慎・・・」
ガゴッ。
襟首をつかまれたまま、俺の左頬に見事なフックが決まった。
うっと思う間もなく、襟首をつかまれて倒れられない俺の鳩尾に、拳を引く一連の動作から流れるようなコンビネーションで重いパンチが入った。
舞いのような華麗な動きと、凄絶なまでに美しい怒りの表情と。
白い焔のように燃える瞳、桜色に上気した頬、そこに点々と散る俺の返り血の鮮やかな赤・・・
倒れるまでのわずかの間、スローモーションのように久美子が見えて、
こんな時なのに俺は、ああ、やっぱこいつは綺麗だな、なんて思ってた。
ドサッ。
やっと地面に辿り着くと、仁王立ちの久美子の足が見えた。
「あたしは認めねぇ。絶対に、だ。お前にそんなことをさせるくらいなら、お前を捨てるほうがずっといい。あたしを忘れてお前は幸福に生きろ・・・これが今生の別れだ。あばよっ、慎公。」
何言ってやがる、ふざけんなよ。
俺はぜってぇ諦めねぇ。お前を離さねぇって決めたんだ。
そう言い返した言葉は、しかし声にはならず、足音が遠ざかって行くのをなす術もなく聞いていただけだった。
テーブルの上に置かれたケーキとワインが、こんな場面にそぐわなくて滑稽だった。
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ここまでお読みくださいましてありがとうございます。
かなり気合いを入れて書いたハードボイルド長編です。
このプロローグだけが先に出来て、あと四苦八苦して書いたのを覚えています。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
下は、投稿した際のあとがきです。
2010.5.9
双極子拝
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新月の極オープン一周年&慎ちゃんお誕生日おめでとうございます!
久美子さんのお誕生日記念に長編ハードボイルドを書いてみたので、慎ちゃんのお誕生日にも、と言うことで長編を書いてみる事にしました。のっけからハードな展開でごめんなさい。
物語は、慎ちゃんの21歳の誕生日から始まります。おつきあい三年目の危機を迎えるふたりです。よろしくお付き合いくださいませ。
ツキキワにお邪魔し始めて、もう八ヶ月が経ちました。
あっという間だった気もするし、色んなことがあり過ぎて長い時間が経ったような気もします。自分では思いもよらなかった様々な経験をし、全く接点のない方々と仲良くなることが出来て、とても幸せな時間でした。
こんな素敵な機会をくださった極月様に、改めて感謝の意を捧げます。
また、私のお話を読んで下さった方々も、間接的にではありますが私が出合った方々だと思っています。いつも本当にありがとうございます。
このお話が、少しでも皆様の楽しみになることを祈って。
2009.8.6
双極子