吾亦紅 3
忙しい年度末の始末を終えて、久美子が新居に初めて足を踏み入れたのは
4月も半ばを過ぎてからだった。
「さ、散らかってるけど入れよ。」
「おじゃまします・・うわっエラい豪勢な部屋じゃねーか!」
「ああ、これならふたりで住んでも狭くないだろ?」
「////何言ってんだよ。10年早いよ。////」
「10年〜?」
ぷっとほおを膨らまして拗ねてやると
「あー・・・ま、2年くらい・・?」
久美子は折れてくれた。
こう言うところが可愛いよな。
「それなら許す。」
「へへっ。なーまいき!」
「へん!ま、近いしさ。泊まる時も気楽だろ。」
「ああ、そうだな。夜中に急に会いたくなっても大丈夫だな♪」
「////」
そんな不意打ちで俺をつなぎ止める彼女は、やっぱり食わせ物だ。
「うわー、いい眺めだなぁ!富士山が見えるぞ!
あ、東京タワー!」
「いや、流石にそれは見えないんじゃないか?」
「あー・・・でも白金川からは離れちまったな。
お前の部屋から見る花火、結構好きだったから・・」
その言葉に、高三の時の花火の夜を思い出す。
あの時の、夜目にも艶やかな白い太腿は、その後長らく俺の心から離れなかった。
「河原まで見に行けばいいじゃないか。」
「それもそっか。」
「ほら、こっちの部屋にも来てみろよ。」
「へぇ、こっちもいい眺めだな・・って、げ、なんだこのでかいベッド!」
「ふたつ入れるよりもこのほうがいいだろ。」
久美子はベッドに座るとぽすんぽすんと飛び跳ねた。
「うわ~楽しいなっ、これ!」
「寝心地もいいぜ。早速試しイテテテ・・・んなトコ引っ張るなっ。」
「お天道様もまだ高いってぇのにナニしやがる!」
「ちぇ。じゃあ日が暮れるまでこれだけで我慢する。」
「ひぇっ。こーら!」
「あはは。」
改めて久美子を腕の中に閉じ込めて、ゆっくりと唇を重ねる。
「なあ・・・」
「ん?どした?」
「しばらくの間、あんまり出かけたりできないんだけど、いいかな?」
「お、今年の試験に挑戦してみる事にしたんだ。
いいぞ、試験勉強で忙しくなるもんな。」
「そのかわり、ここに遊びに来てくれよ。」
「んー、あんまり邪魔するのも悪いしなぁ・・」
「でも部屋も広いし、お前いてくれるだけでも嬉しいんだけど。」
「そっか?」
「じゃ、これ。ここの鍵。あっちの部屋、お前の荷物を置けるようにしてあるから。
ここに入り浸ってくれる?」
「この甘えっ子め。」
「だめ?」
「駄目なわけないだろ////」
まったく躊躇せずに答えてくれた久美子に俺はほっとする。
「・・・短答式試験が終わったら。」
「ん?」
「5月の短答式試験が終わったらさ、聞いて欲しいことがあるんだ。
その時、俺が何を言っても信じて受け入れて欲しいんだ・・・」
「・・・」
「ごめんな?本当はもっとちゃんとお前と話し合う時間を取らなきゃならないんだけど、今それどころじゃなくてさ。」
そこまで言うと、俺はもう我慢が出来なくなって久美子の肩先に額をつける。
「わわっ////・・・どうしたんだ?ん?」
ただ事ではない俺の様子に気付いたのだろう。
久美子は年上の余裕で俺の事を包んでくれる。
ありがとな。ごめんな。いつまでたっても頼りなくて。
でも、今だけでいい、甘えさせて。
お前が俺の元を離れないと、お前は永久に俺のものだと、実感させてくれ。
怖いんだ。
お前と引き換えなら、何もいらない。
そう思ってはいても、いざすべてを捨ててしまうとなると堪らない寂寥が押し寄せてくる。
何もかも確かなものがなくなって、たった一つ、愛する女だけが手元に残る。
俺は、久美子の華奢な身体を強く巻き締めた。
白金学院の埃っぽい教室で、お前が俺に呼びかけた時から、俺の運命はここへ向かって進んでいたんだ。他の道など、なかったんだ。
俺は、沸き上がる激情の侭に久美子を押し倒した。
「こーら。まだ明るいぞ・・・」
言いながらも久美子は俺の首に腕を回し、ぎゅっと抱きしめてくれた。
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2009.8.10
双極子