吾亦紅 11



深い水底から、ゆっくりゆっくりと浮き上がってくるようだった。

身体を締め付ける重苦しい水の圧力が段々と薄れていく。

それと同時に視界が徐々に明るくなっていく。

静まり返っていた周囲から次第に音が戻ってくる。

それは、突然終わりを迎えた。

「あ・・・」

気がつくと、白い天井が見えた。

回りを取り囲むカーテンレールと、カーテン。

ピッピッピッと音を刻む計器。

消毒液の匂い。

「うっ・・・」

鋭い身体の痛みが戻って来た。

動かそうとするとあちこちがひどく痛む。

カーテンがさっと開いて看護師が顔を出した。

「あ、山本さん。気がついたんですね?」

やまもと?俺は沢田だぞ・・・

視界が再び狭まって、俺は闇に落ちていった。




次に眼が覚めた時は明るかった。

「山本さん、ご家族の方が見えてますよ。」

その言葉に頭を動かすと、カーテンの開いたところから玲が顔を出しているのが見えた。

「れい・・・」

「慎。俺がわかるんだな。」

「慎、よかった。」

「かあさん・・・」

なんだってこんなところにいるんだっけ。

かあさんと玲はどうしたんだろう。

なんか泣きそうな顔だな。

俺はまた意識を手放した。




反覚醒の状態で、俺は左手が温かくなったのに気がついた。

懐かしい香りがして幸せな気分になる。

なのになんだか蠱惑的で妙にくすぐったい香りだ。

「う・・ん。」

「慎?」

一番聞きたかった声がする。

この声は。

そうだ、目覚めなければ。

ぽっかりと眼を開く。

明るくなった視界の真ん中に一番見たかった顔があった。

「むぐっ、んんー、ん、んんーっ。はぁはぁ、眼が覚めた途端に何しやがるっ////」

「くみこ・・・」

「お前って奴ぁ・・・本当にもうっ////」

「あ、山本さん、眼が覚めましたね?」

「はい・・・」

「あなたのお名前は?」

名前?少しだけ混乱するがすぐ思い出す。

「やまもと、しん・・・」

「生年月日は。」

「・・・1989ねん8がつ12にち・・・」

「住所は。」

告げると看護師は手元の書類と照らし合わせにっこり笑って体温計を出した。

検温が終わると記録して、久美子に声をかけた。

「よかったですね。」

「はい////」

「彼女、この二週間と言うもの、つきっきりだったんですよ。」

「二しゅうかん・・・?」

「ああ、お前、二週間も意識が戻らなかったんだぞ。」

「・・・・」

そっか、俺は久美子を引こうとした車に跳ねられたんだったな。

「なぁ・・・お前、あたしを置いていくなよ・・・」

俺の枕の脇に顔をもたれかけて久美子が言う。

「ずっと側にいてくれよ。」

「ん・・・」

その頭をゆっくりと撫でながら俺は安心させようと頷いた。

「さ、もう少し休めよ。あたし、親御さんに連絡してくるよ。」

「ああ、サンキュ・・・」

眼を瞑りながら今日の日付を考える。

あの日から二週間なら、今日は十月の第一週目だ。

来週の口述試験に行けるだろうか。

・・・ちょっと無理か。

そもそも論文式試験の結果も聞いていないんだっけ。

命があっただけでも良しとするべきだな。

久美子もそばにいてくれるし。

そんなことを考えながら俺は眠りに落ちていった。



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2009.8.17

双極子