吾亦紅 10



「お嬢・・・」

「あ、京さん・・・」

久美子は真夜中の病院の廊下のベンチにひとりで座り込んでいた。

「慎公は?」

「まだ手術室・・・」

久美子は幼い日の様に京太郎に縋り付くと、胸に顔を埋めた。

「京さん、どうしよう・・・もし・・もし・・・慎が・・・」

京太郎は久美子の頭をぽんぽん叩くと胸に沁みるような優しい声で言った。

「慎公がお嬢を置いて逝く訳がねぇよ・・・」

「・・・うん・・・」




「山本慎君のご家族の方。いらっしゃいますか?」

「「はい。」」

「あなたは?」

「慎の父と母です。」

「そちらも?」

「ああ、彼女もです。」

「慎君の状況を説明します。今は集中治療室にいます。

慎君はここに運び込まれたとき、胸部と腹部に裂傷があり

右腕と肩、両脚をそれぞれ骨折していました。

両脚は複雑骨折で、手術で骨と腱の再建をしました。

時間がかかるでしょうが、若いですからリハビリをすれば元通りになるでしょう。

胸部と腹部については、傷口が大きかったので縫合に時間がかかりましたが

幸いにして内蔵はほぼ無事だったので、こちらも心配ないでしょう。

頭部に目立った傷はないのですが、弾き飛ばされたと言うことでしたので

もう少し落ち着いたらMRIを撮ってみようと思います。

CTを撮った限りでは、異常は見受けられません。

ただ、場所が場所だけに慎重を期して経過を見る事にします。」

「それで、慎は、あの子は助かるんですか?」

「はい。ひどい怪我ですが命に別状はないでしょう。まだ意識は戻りませんが、このまま意識が戻れば回復しますよ。出血量が多かったのでちょっと時間はかかるでしょうが、若いですしね。」

「ありがとうございました。」




「ヤンクミ・・・」

「あ、クマ。みんなも・・・」

「慎ちゃん、どうだ?」

「せっかく来てもらったけど、まだ意識が戻らないんだ。」

「そっか・・・」

「ヤンクミ、お前あんまり根詰めんなよ。」

「そうそう、お前が倒れちゃしょうがないぞ。」

「慎ちゃんも心配するから、せめてちゃんと食べろよ。」

「ああ、そうするよ。ありがとな。」

「慎のご両親は?」

「ああ、今、部屋の中に入ってる。」

「挨拶してくるな。」




ばたばたと数人の男が駆けてくる。

「久美子さん!社長は?」

「あ、小野さん・・・」

「容態は?どうなってるんです??」

「・・・まだ、目が覚めなくて・・・」

「そうですか・・・」

「あの、何か問題でも・・?」

男達は顔を見合わせると、今は言わない方がいいと判断してその場をごまかす。

「社長が目覚めたら、こちらの方は心配しなくても良いとお伝えください。」

「そうです。我々だけで大丈夫ですから、と。」

「はぁ・・・」




「沢田の旦那・・・今日は先超されちゃいましたね。」

「山口先生。毎日ありがとうございます。」

慎の母親が立ち上がって頭を下げる。

「・・・君は、慎と別れたのかね?」

「あなた・・・何も今こんなところでおっしゃらなくても・・・」

「私のせいでこんな目に遭わせてしまって・・・でも、私、彼とは・・・」

「私は許さんからな。」

「あなた!」

「・・・・」

「慎と別れるなんて、絶対に許さん。」

「・・・っ!!旦那・・・すみません。私・・・私のせいなのに・・・」

「そばについていてやってくれ。」

「はい・・・」




「なぁ、慎・・・眼を覚ませよ・・・お前の声を聞きたいよ・・・」

「・・・・」

「あんなのが今生の別れだなんて、やだ・・・」

「・・・・」

「久美子。」

「あ、おじいさん。わざわざ・・」

「どうでぃ、慎君は。」

「あ、まだ意識が戻らなくて・・・」

「そうかい・・・」

「おじいさん・・・」

「なあ、久美子。男が一度決めた道だ。黙って見守ってやるのも情けじゃねぇのかい。」

「はい。」

「眼が覚めたらもう一度、じっくり話し合ってみるこった。」

「はい。」




ピピピピピピピ

「急変です!」

「先生呼んでっ!」

「どうした?」

「急に血圧が下がって!」

「酸素濃度は?」

「すぐ用意して!行くから!」

「ストレッチャー!」

「移すよ、一、二、三!」

ばたばたとストレッチャーを取り囲んだ一団が廊下を通り過ぎていく。

「慎!慎!」

「どうしたんだよ、慎ちゃんは?」

「おいっ!」

「大丈夫ですから。そこで待っていて下さい!」

「どうなったんだ。」

「さぁ?」

「ヤンクミ?」

「あっ、ヤンクミどうした?」

「わぁ、倒れたぞ!」

「ヤンクミ、ヤンクミ!」

「看護婦さーんっ!」

「病院だ病院!」

「バカやろう、病院はここだろ!!」




「「「お嬢ーっ。」」」

「久美子っ。」

「おおおおおおいいいい、おおお嬢はお嬢はあああっ。」

「お静かにっ!」

「「「へい・・・」」」

「山口久美子さんのご家族の方ですか?」

「はい。」

「過労ですね。寝不足と心労からくるストレスでしょう。最近、あまり召し上がってないんじゃないですか?ひどい貧血でしたよ。取り敢えず点滴していますから一晩入院して頂いて、明日は帰れると思いますよ。」

「そうですかい・・・」

「そりゃ、よかった。」

「「「「よろしくお願げぇいたしやす。」」」」




「容態は落ち着いています。」

「しかし・・・」

「特に異常は見られません。じき、眼を覚ますと思いますよ。」

「そうですか・・・」

慎がわずかに身じろぎした。

「・・・ん・・・」

「あ。慎?」

「・・・・」

「・・・いや、気のせいみたい・・・」




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2009.8.16

双極子