吾亦紅 1


きっかけは玲の就職が決まったことだった。

一年間のブランクを経て大学に学士入学を果たした玲は、

一切の迷いを吹っ切ったと言う事もあってたちまち遅れをとり戻し、

素晴らしい成績で卒業した。

国家I種にも優秀な成績で合格し、引く手あまたの玲が選んだのは、警察庁。

父の事もあって玲の入庁は、あらゆる方面の人々から歓迎された。

しかし、その中にあって俺だけは複雑な心境だった。

自分は弁護士志望である。

仕事上は対抗するとは言え、警察と弁護士は敵同士と言うわけではない。

普通の場合ならば、弁護士と警察官が兄弟でも何ら問題はないだろう。

だが、俺の事情はちょっと違う。

なにせはじめから、極道弁護士になろうと言うのだ。

親父も、兄の玲も、身内の情など一切意に介さず自らの職業正義を全うするだろう。

だから、それはいい。

だが、周りの人間はどうだろう?

警察とは言え官僚組織である。優秀な同僚の足を引っ張る材料を喜ぶ輩はいるだろう。

犯罪者が俺の存在を取引に使うことも考えられる。

逆に、玲の存在を俺との取引に使おうとする奴もいるだろう。

そこから黒田に類が及ぶことも考えられる。

親父はともかく、俺の兄であることによって玲に被害が及ぶことは、どうしても避けたい。

また、もしそうなった場合の母の心労を考えると、自分が弁護士になる前に何らかの手を打っておかなければならない。


色々と考えた末、やるなら徹底的にと言うことで俺は準備を始めた。

2年の春休みは忙しかった。

丁度、駒場から本郷へ移る時期で、それも利用することにして色々と手を打った。

まず、俺は久美子と付き合いだしてしばらくしてから暗めにしていた髪の色を、

もとのビビッドレッドに戻すことにした。

髪を暗めにしていたのは、極弁になるならあまり目立つ風貌でいないほうが良いと考えたからだ。

いきなり黒に戻すのは寂しいと久美子が言うのもあって、徐々に暗くしていたのだ。

しかし完全に真っ黒に戻したら、今の俺は玲と瓜二つだ。少しでも印象が変わった方がいい。

そのほかに、たくさんの書類を書いてあちこちに提出した。

法学部の教授に教えを来い、必要な手続きをすべて済ませた。

親父とも何度も話し合い、最後に一発殴られてからようやく

「勝手にしろ・・・この馬鹿者が。」

親父なりの言葉で許しを貰った。

正直に言うと、親父の反応は俺に取って意外なものだった。

お気に入りのおもちゃを取られる子供のように執着するか、まったく無関心かどちらかだと思っていたのだ。

親父は親父なりに俺のことを愛し、その将来を憂いてくれているのだと

初めて感じたような気がする。

お袋のことが心配だったが、親父から話しておくと言ってくれた。

「子供は親離れをしていくもんだ。」

少しだけ寂しそうに、親父は呟いた。

ごめん、親父。でも俺、久美子のいない人生なんていらないんだ。

何を引き換えにしてもいいと思っている。

その中には、親父とお袋を寂しがらせることも入っているんだ。


また、久美子には内緒で黒田へも行き、組長さんとも話し合った。

昇り龍の通り名を持つ腹の据わった組長さんは、俺の決意を驚きもせずに受け入れて

「俺ぁかまわねぇよ、沢田くん。こんな老いぼれだぁ。

好きに使ってくんな。しかし久美子を説得できるのかねぇ。」

ニッと笑いながら言う。

「嫌だと言っても離さない覚悟ですんで。

それに俺がここの弁護士になりたいと言うのは

久美子さんの件がなくなっても変わりませんから・・・」

にっこり笑ってそう言った。

「ほぅ。ま、お手並み拝見と行こうかい。」

「ありがとうございます。」

更に、それまで住んでいた白金町のアパートを引き払い、神山町のマンションに引っ越した。

買うか借りるか随分迷ったのだが、取り敢えず賃貸の良い物件があったので

借りる事にして三月半ばには引っ越しを終えた。

新しい部屋は、仕事場兼用に使えるよう3LDKで、

最上階の角部屋、付近で一番高い建物である。

閑静な住宅街の一角で、黒田の屋敷から徒歩5分、

神山駅から徒歩12分と言う好立地である。

南向きの広いバルコニーから神山町が一望でき、

黒田のこんもりした屋敷林も見ることが出来る。

3月中にすべての手を打って、俺は新しい生活に入った。

残るのは久美子への報告だけだ。



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2009.8.8

双極子