四月の魚 7
その部屋に警察が踏み込んだ時、慎と山川は全裸でベッドにいた。
大きなライトで煌々と照らされたベッドのまわりにはビデオ用とスチール用、両方のカメラがいくつも設置してあり、自動で撮影が出来るようになっていた。
脅迫写真でも取るつもりだったのだろうか。あるいは商売用かもしれない。いずれにしても山川はそう言ったことに慣れているようで、叩けばいくつも余罪が出てくるに違いない。
すべての準備が整って、さて、楽しいお仕事を始めるか、と、ご機嫌だった山川は、突然飛び込んで来た警察に咄嗟に動くことが出来ず、抵抗することもなく全裸のまま逮捕された。
薬を盛られて気を失っていた慎は、すんでの所で毒牙を免れたらしい。
その場で指揮をしていた年配の刑事は、慎の身体にシーツをかけて誰にも見られないようにしてやった後、口の堅い部下を呼んだ。
「おい、彼にそっと服を着せてやれ。そこに落ちているのが彼の服のようだ。誰にも知られるなよ。彼本人にも出来るだけ気付かれないように、な。」
「はい。」
若い刑事は慎の服を拾うと、シーツをめくった。
「あ・・・////」
「どうした?」
止まってしまった部下を訝しく思った上司は、何事かとシーツの下を覗き込む。
「お・・・赤いな////」
「・・・赤いですね////」
「・・・」
「・・・」
「口外無用だぞ。」
「は・・・」
「忘れろ。」
「は・・・」
「忘れろ。ここだけの話、彼は沢田局長の息子さんだ。」
「げ。」
「恩給もらうまで勤め上げたいのなら、ここで見たことは忘れろ!」
「はい!自分は何も見てません!」
「よし。さ、早くしろ。」
「はっ。それにしても////」
赤い毛と白い肌のコントラストが美しい慎の肢体に、ふたりはまた顔を赤らめてしまうのだった。
ちょっと前にそんなことがあったとは露知らず、慎はマンション前の生け垣にぼんやりと腰を下ろしていた。慎が監禁されていたマンションの前には、パトカーがたくさん止まっており、大勢の警官がたむろしていた。慎はざっと事情を聞かれた後、まだ話があるから帰らないでくれと言われて先ほどからずっと待っているのだった。
ふと、向こうの路地の暗がりを見やった慎は、しばらく何事かを考えていたが、やがて刑事の所ヘ行った。
「すみません。もう帰ってもよろしいでしょうか?」
そう礼儀正しく聞くと
「ああ、お父上にやっと連絡がついたよ。もう帰っても大丈夫だ。」
「ありがとうございます。自分の部屋へ帰りますんで。僕からも連絡しますがもしも父から連絡があるようでしたらそう伝えてください。」
「そうかい。送って行こうか?」
「いえ、大丈夫です。」
「じゃ、気をつけて。お父上によろしく。」
「はい。お世話になりました。」
ぺこりと頭を下げると先ほどの路地の方へと歩いて行った。
路地の暗がりでは、黒田一家がマンション前の様子を伺っていた。
「あ、慎の字ですぜ。」
京太郎がこちらへ歩いてくる慎に気が付いて久美子に教えてやる。
久美子はわなわなと震えながら慎を見ていた。
「山口・・・」
嬉しそうに慎が呼びかけると久美子は慎の前に駆け寄ってくる。
そのまま何も言わずに立ち尽くしているから、不審に思った慎は俯いた久美子の顔を覗き込んで驚いた。
久美子の目には涙が一杯溜まっていたのだ。
「山口?」
もう一度呼びかけると、耐えかねたように嗚咽が漏れ始めた。
久美子は慎のシャツを両手で握りしめ、ぽろぽろと涙をこぼしている。
「う、ううう・・・沢田ぁ・・・し、心配、ひっく、心、配した・・だ。」
久美子は慎の襟首を掴んでぐいっと引き寄せそのまま泣き続ける。
咄嗟のことに驚いて声が出ない。
山口が、山口が、俺のために泣いてる・・・?
俺のこと、泣くほど心配してくれたんだ。
俺、自惚れても・・・いいのか?
なおも泣きじゃくる久美子の身体を、慎は腕でそうっと包んで胸に寄せる。
「さ、沢田ぁ!!」
それが合図だったかのように久美子はわーっと泣き出した。
「山口、俺、大丈夫だから。もう大丈夫だから・・・な?」
ぽんぽんと背中を叩いてやりながら優しく囁くと、久美子はうんうん頷いてまた縋り付く。
「お嬢、よかったっすねぇ・・・」
「「「お嬢・・・グシッ。」」」
ここ数日の久美子の憔悴振りを知っている黒田の面々は、思わずもらい泣きをする。
龍一郎も優しいまなざしで孫娘を見守っていた。
しばらくふたりはそのままでいたが、やがて慎がふらりと倒れるから、久美子はあわててその身体を支える。
「沢田?沢田!死んじゃ駄目だ!!」
「お嬢、気ぃ失ってるんだよ。」
久美子に抱きつかれて戸惑っている慎をニヤニヤしながら見ていた京太郎は、久美子の腕から慎を受け取るとひょいと抱き上げた。
「京さん・・・」
「一週間近く監禁されてたんだ、無理もねぇ。
怪我もしているようだし、医者へ連れて行こうや。な、お嬢。」
「うん・・・」
黒田一家御用達のいつでも見てくれる親切な医者への行き帰りの車中、久美子は慎の側を離れようとしなかった。
慎の隣で脇に頭を差し入れ、ぴたっと縋り付いて時折嗚咽を漏らす久美子を、慎は夢を見ているような気分で抱いていた。薬のせいなのか頭がぼんやりとして妙に現実感がない。夢じゃないといいな、などと思いながら、久美子の小さな頭に頬を寄せて微睡んだ。
その様子を、京太郎や龍一郎が温かい目で見守っている。
心地よい慎の腕の中で、久美子が一つの決意を固めたのを、まだ誰も気付いていなかった。
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2009.4.10
双極子