四月の魚 5



くぐもったような妙に耳障りな声だった。

『あんたの息子は預かってるぜ』

「失礼ですが、どちら様でしょう?」

冷静な口調で郷は答えた。

『くっくっく・・・あんたの息子は預かってる。』

「・・・要求はなんだ?」

『くっ、流石は切れ者と言われた鬼の刑事局長。話が早ぇや。』

「条件を聞こう。」

『おっと、時間切れだ。またかけるぜ。』

ぷつりと一方的に電話が切られた。

「逆探知失敗です!」

「くそっ、またか・・・」

こんなことをもう数回繰り返している。

慎失踪の翌々日。

警察庁刑事局局長沢田郷の自宅へ一本の電話がかかって来た。

『息子さん・・帰ってきたかい?』

「は?あのう・・失礼ですがどちら様でしょう。」

ちょうど家にいた郷の妻が電話を受けた。

『あんたの、赤い髪の可愛い坊や。』

「慎のことですか?ちょっと、あなた、何をおっしゃってるの?」

『へへへへ、可愛い慎君は俺と一緒にここにいる。

命が惜しかったら妙なまねはすんなよ。』

「宅の主人がどういう立場かご存知ですの!?」

『へへへ、刑事局長さん、だったっけねぇ?ハナから承知の上さ・・』

「!!」

『ま、まずは夫に相談してみるこったな。また掛けるぜ。』

「あ、まって。」

一方的に切られた電話に郷の妻は呆然とするばかりだった。

なんとか気を取り直すとすぐに警察庁へ連絡をいれ、万全の体勢を整えて今に至ると言うわけだ。

郷も仕事を切り上げて自宅に詰め、犯人からの連絡を待っていた。

電話は何度も掛かってくるのだが、犯人は具体的な要求を口にすることはない。

単純な営利誘拐ではなく、警察の面子をつぶしてやろうと言う愉快犯か、あるいは郷に恨みを持つものの犯行ではないかと思われた。

事件解決の糸口は見つからず、事態は膠着状態となっていた。



「思い出した!思い出したぞぅ!そうじゃった、そうじゃった。」

「天海のおじさん。どうしたんですか?」

「おお、久美子ちゃん。久美子ちゃんの大切な赤大将が大変なんだってな。」

「大切なって////そんなこと言うのは京さんですね?

ったくぅ。天海のおじさんにまで変な事吹き込んで・・」

指をぱきぽきと鳴らしながら、久美子が言う。

それに赤大将って・・・ヘビじゃないんだからと苦笑する。

「そりゃどうでもいいから。思い出したんだよ、赤大将のことを。」

「はぁ。」

「確か、狸腹の金田の舎弟のダチのいとこが、嫁の弟から聞いたんだそうだが、

狐目組の地下室から夜な夜な泣き声が聞こえて来て、時折誰もいないはずの廊下の奥に

赤い髪をした綺麗な男の子の姿がぼうっと光っているのが見えるんだそうだ。」

「はぁ、ってなんですか、そりゃ?」

「だからさ、火のない所に水煙、って言うだろ?」

はぁ。(いや、言わないし。)」

「絶対何か繋がりがあるから、探ってごらん。」

とんちんかんな意見だが、気に掛けてくれているのがわかるから、

久美子はありがたく思っていた。

それに・・・と久美子は思う。

狸腹に聞いてみるのも手かもしれない。

京太郎に話すと、早速狸腹会の金田に連絡を入れてくれた。

「あっ!大島さん。いよいよ出入りですかいっ。すぐに駆けつけまさぁ!!」

「まあ待て。ちっと聞きてぇ事があるんだがよ。お前、赤獅子の若大将を覚えてるよな?

最近、うわさ聞かねぇか?」

「ああ、なんでも狐目組の地下室にメチャクチャ男前の赤い髪の幽霊が出るって話ですぜ。若大将が化けて出たらそんな感じだろうって、話題ですな。」

「沢田の幽霊・・・じゃ、あいつ・・・」

そばで聞いていた久美子が真っ青になる。

電話を切った京太郎は変な顔をしてぶつぶつ言っている久美子に声をかけた。

「お嬢、まだ死んだと決まったわけじゃねぇだろ。」

「でもでも、幽霊になってるってことはっ。・・・沢田の奴、あたしに惚れてるとか言ってたくせになんで死んだらあたしの所に出ないんだよっ。未練もないほど軽々しい気持ちだったのかよっ、慎公め・・・許せねぇ。」

「へぇ、惚れてるって言われたのかい?お嬢。」

「だっ、だれがしょんなこと////」

京太郎はあたふたする久美子を面白そうに見ていたが、

「ま、ともかくだ。狐目組に行ってみようぜ、お嬢。

今回の爆弾騒ぎでは狐目は傍観の立場だ。こっちから出向く分には不味くねぇだろ。」

「うん・・・」



京太郎と久美子、それにてつの三人が狐目組に着くと、中はがらんとして人気がなかった。

「おい、邪魔するぜぃ。」

京太郎がひと声かけて、皆で中へ入る。

中の様子はただ事ではなかった。

ドアが外れ、窓ガラスは割れており、中にはイスや植木鉢の破片などが散乱している。

覗いてみると、そこここに人が倒れている。

「おい、お嬢、こりゃぁ。」

「ああ、出入りだね。」

あちこち見て回りながら組長の部屋らしい所へ行くと、年配の男がひとり床で呻いていた。

狐目組の組長だ。

「失礼しやす。あっしは黒田の若頭で大島京太郎と申しやす。」

そばに言ってそう礼儀正しく挨拶して抱き起こすと、狐目組長は京太郎を見て

「ああ、黒田の・・・ざまやぁねぇや。俺も落ちたもんだぜ・・・」

「何があったんで?」

「権田原の野郎が裏切りやがった・・・猿丸の助っ人を引き込んで一緒に襲いかかってきやがった・・・」

「そりゃあ、エラいこっちゃねえですかい!」

「くそっ、許せねぇ。」

狐目組長は京太郎の胸倉にガシッとしがみつくと、苦しい息の下で言った。

「く、黒田の・・・黒田の親分さんを男と見込んで頼みがある・・・

猿丸組をギャフンと言わしてやってくれ・・・ゴフッ・・」

「お?気ぃ失っちまった。おい、他に起きている奴はいたか?」

「へい、こっちに一人若いのがいやすぜ。」

「おう。」

応接間だったらしい部屋へ行くと、若い男が不ソファに座ってぼんやりしている。

久美子が氷嚢を渡してやると、タカと名乗った男は腫れ上がった頬にそれを当てて、ぼそぼそと話しだした。

それによると、昨夜遅く、いきなり猿丸組の組員が集団で押し込んで来たのと同時に、権田原若頭を中心としたメンバーが、組員たちに襲いかかったのだそうだ。応戦したものの多勢に無勢で、夜が開け切る前にはほぼ壊滅状態となって、襲撃者たちは内応者と共に立ち去っていったと言うことだ。

久美子たちは顔を見合わせる。

「ここに、赤い髪の俺様ぐらいの色男がいなかったか?」

タカはしばらく京太郎の顔を見ていた。

「・・・やっぱり、あいつが赤獅子の若大将なのか?」

「知ってるのか?」

「ああ、そいつなら地下に監禁されてた。」

「「「地下だな!!」」」

久美子たちは、色めき立って地下へと向かう。

広い事務所の一番奥の階段を下り、突き当たりの窓のない廊下を行くと、トイレがありその隣にドアがあった。

「沢田ぁ!!」「慎の字!」


蹴り開けるとそこは、薄暗い天井の高い部屋だった。誰もいない。

上の方にある明かり取りの窓からはぼんやりとした光が入ってくる。隅の方にマットレスがある。食器やペットボトルなどが転がっていて、近寄ってみると最近使ったもののようだった。マットレスの上に赤い髪を見つけた久美子は、つまみ上げて呟いた。

「沢田・・・こんなところで・・・」

マットレスにどす黒くなった血がこびり付いているのを見て、久美子は唇をかんだ。

慎がここに監禁されていたのは確からしいが、それ以上手がかりはなく、

階上へ戻ると、タカに聞いてみた。

「ああ、それじゃあ山川が連れてったんじゃないかな。」

「山川?」

「ああ、若頭・・権田原の客とか言ってしばらく前からうちにいたんだ。」

わざわざ若頭を呼び捨てし直す所にタカの怒りが見て取れる。

「京さん、じゃあ沢田は・・・」

「猿丸組だな。」

ふたりは目配せし合うと頷いた。

「よし。」

「頃合いだね。」

「アニキ、じゃあ。」

「おう。若松に電話を入れろ。兼ねてからの手配通りにってな。」

「うっす!」

「行くぜ、お嬢!」

「おう!」




-------

2009.4.9

双極子