原作・卒業後、婚約中。ノンアダルトシリーズのふたり、「吾亦紅」の少しあと。



謹賀新年



最後の紐をきゅっと結び終えたと同時に、襖の外から声がかかった。


「もういいか?」


慣れ親しんだ恋人の声に、慎は微笑を浮かべながら答える。


「ああ、もう大丈夫だ。準備できたから。」


からりと襖が開いて、美しく着飾った久美子が顔を出す。

最近の流行よりは少々派手目な振り袖を纏った久美子に思わず息を呑んだ。


艶やかな東雲色の振り袖には正月らしく熨斗と御所車が金糸銀糸に彩られて大胆に配置され、若竹色で揃えた半襟、帯揚げ、帯締めと相まって華やかで可憐な印象だった。


いつもの玄人好みの渋い訪問着とは全く違うその艶姿に、慎はしばらくの間、口も聞けずに見蕩れていた。慎の視線に気付いた久美子がちょっと口を尖らせる。


「何だよ。そんなに変か?」


長い袖をひょいと腕に架けてぐるりと廻ってみせる。

帯も普段見かけるのとは違う、凝った結び方をしてあって、振り袖の色と合わせた髪飾りで綺麗にまとめあげた黒髪の下のうなじが眩しかった。


「いや・・・いつもとずいぶん違うなぁって思って・・・」


「これな、お母さんの振り袖なんだ。組関係に顔を出す時にはもうちょっと渋めの、如何にも極妻ーって感じのを着るんだけど、そっちはお祖母さんのが多いんだよね。」


「そう言う華やかなのも似合うな。」


言うと久美子は嬉しそうに笑って、


「こんなのだと着ていく所もないし、柄じゃないしでほとんど手を通してなかったんだけど。 独身最後の正月だからな、思い切って着てみたんだ。」


そう言いながら左手をひらひらと振ってみせた。

薬指にはついこの間慎が送ったばかりの、大きなルビーの指輪が着けられている。


「そっか。」


素っ気なく言う慎が照れているのだとわかって久美子は微笑んだ。


「お前のもよく似合うぞ。」


慎は、この日のために誂えてもらった紋付袴を気着けていた。

羽織の紋は左三つ巴で、これは慎の義実家筋に当たる山本家の紋だ。慎の新しい門出を祝って送れられたものだ。


最近長めにしている髪を首元でひとつにきりりと結い、前髪を上げた慎は、普段よりもずっと男っぷりが上がっており、和装の好きな久美子はほれぼれとその姿を眺める。


「惚れ直しただろ。」


いたずらっぽい顔で慎が言うと、


「・・・バカ・・・////」


真っ赤になってぷいっとそっぽを向く久美子が初々しくて、慎は久美子の頬を指でそっと撫で上げた。うっとりとした目でしばらくそうしていたが、やがて耳元に口を寄せて耳朶を甘噛みする。


「ぁん・・」


「ふふっ、色っぽい声・・・ま、これ以上ここでする訳にゃいかねぇから、我慢だな。」


「もう、バカッ!新年早々何しやがるっ////」


ぽかりと慎の額を小突いて、久美子はパタパタと廊下を戻ってしまう。

くすくす笑いながら慎があとを追いかけると、丁度座敷の前で黒ネクタイにスーツと言う若衆の正装をしたてつとミノルに行き会った。


「あ、慎さん。ご準備およろしいようで。若頭と若松の兄貴は、組長のお側を離れる訳にはい行かねぇんで、お供はあっしらが。」


丁寧に頭を下げて言うてつに、慎は少々うろたえた。

こんな恭しく扱われる程、自分はたいした人間ではない。


「あの、どうかてつさん、普通にして下さい。普通に。ミノルさんも。」


「「へいっ。」」


威勢良く言ってまた頭を下げたてつとミノルに、慎は密かにため息をついた。


「おい、お前ら、支度はいいか?」


廊下の向こう側から久美子の声が聞こえる。


久美子はてつ達に先に車に乗っているように言うと、慎を座敷へ誘った。


つい先ほど新年が開けたばかりだと言うのに、すでに正月の拵えを施された華やかな座敷には、床の間を背にして三代目がゆったりを座っている。進み出て新年の挨拶を済ます。


「おう。今年は久美子にとっても慎くんにとっても節目の年だ。しっかりと腹を据えてかかれよ。」


「「はい。」」


ふたり揃って両手をついた。

仲睦まじいふたりを見て、ふと龍一郎の厳めしい口元が緩んだのを、ふたりは気付かなかった。


「では、おじいさん。行って参ります。」


「行って参ります、三代目。」


「うむ。」


ふたり連れ立って玄関に行くと、やはり紋付袴を身に着けた京太郎が所在なげにうろうろしている。


「おう!お嬢、あけましておめでとうさんで。」


「お、京さん。あけましておめでとう。今年もよろしく頼むよ。


「京さん、おめでとう。」


「お、赤獅子の若大将もいい男っぷりじゃじゃあねぇか。かっかっかっ。馬子にも衣装だな、こりゃ。」


「ゲホッ・・・思いっきりどつくなよ。京さんだって似たようなもんじゃねぇか。・・・ゴホッ。」


「ひゃっひゃっひゃっ!ま、しっかり務めを果たして来いや。お嬢、頼みましたぜぃ。」


「おぅ、行ってくるよ。おじいさんを頼むなっ。」


「「「へい、行ってらっしゃいやし。」」」



若衆達の元気な声に見送られて、慎と久美子は黒塗りのベンツに乗り込む。やがてミノルの車に先導されてベンツが発車すると、後ろには荷物が満載の軽トラックが続く。


一行の行き先は、神山神社だ。

新しい年が明けてすぐの宵参りの参拝客のために、境内には氏子達が様々な縁起物を振る舞っている。この近辺では歴史の古い神社と言う事もあって、参拝客は非常に多い。そのため氏子達へお神酒や鯛、餅やその他縁起物などを振る舞うのが、黒田一家の元旦の習わしだった。


「あっ、黒田のお嬢!おめでとうございます。」


「おめでとうございます。」


「おめでとうさん、今年もご贔屓にー。」


口々にお祝いを述べる町内会の人たちは、久美子の後ろの慎が去年までと違って紋付袴の正装をしているのを見て息を呑んだ。


久美子が振り袖なのは毎年恒例の事だし、お供は大抵若衆だけで彼らは地味なスーツを着ている。


一年の一番始めに神詣でをするこの使いは只の使いではない。

久美子は黒田龍一郎の名代として、神山神社に奉納をしているのだ。

その場所に、正装した慎が付き添ってくると言う事は、慎も久美子とともに名代を勤めていると言う事だ。つまり、非公式にではあるが龍一郎が慎を跡継ぎと認めたと言う事を意味する。


これから始まるであろう御家争いの事を思って、町内会の誰もの心に暗い思いが過る。

由梨子が出て行った時ですら、内々に処理したにもかかわらずかなりの騒ぎになったのだ。


「ほぉっ、ほぉっ、ほぉっ、いやぁ、めでたい。」


そんな緊張した空気を突然破ったのは、神山神社の宮司だった。

手に持った日の丸の扇を掲げて放った年老いた宮司の緊張感のまるでないだみ声に、皆はほっと気を抜いてその場は一気にお祝いムード一色になった。


昨年十一月に司法試験に受かった慎は、その直後に久美子に結婚を申し込み、黒田龍一郎もそれを許した。これから司法修習を受けねばならぬ身とは言え、慎がすでに黒田一家の一員である事を、龍一郎はこの使いをさせる事によって内外に示したのだ。


裏の社会も表の社会も、黒田龍一郎の後ろ盾を得た慎を疎かに出来ないのだと知らしめられたことになる。


厳しく辛い道が待っているとわかっていても、慎は自分の選んだ道を後悔などしていなかった。神山の宮司がその決意をすぐさま見抜いてくれて、場の雰囲気を一気に歓迎ムードにしてくれた事に慎は密かに感謝していた。


口々におめでとうを言われながら、町内会の人たちに次々と杯を差し出されて慎と久美子は嬉しそうにそれを受けていた。


吐く息が白く染まって登っていくが、それもすぐに消えて闇に融ける。

かがり火の向こうの空に美しい星々が輝いていた。


新年を祝う花火が遠くで響いている。

穏やかな、本当に穏やかな元日だった。




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あけましておめでとうございます!


って今頃何言ってるのよー、てな話は置いといて下さい・・・

まだ松は取れてないってことで、やっと新年話を書けました。


昨年中は格別のお引き回しを頂きまして誠にありがとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。



2011.1.4

双極子拝