原作・卒業後、おつきあい中。司法試験の短答式と論文に受かった後、大学三年〜四年の間のどこかのお話です。



その漆黒の髪をなびかせて、男は魔王のように降臨する。

その漆黒に瞳に魅入られたものは、誰も逃れられない。



魔王降臨



大広間はごった返していた。

息苦しいくらいの人いきれのなか、煙草の煙と酒のにおいが充満していた。

シャンデリアの光の下をたくさんの男女がゆっくりと動き回っている。

紋付袴の男たち、高価な訪問着をまとった女たち、

華やかなスーツの甘いマスクの男たち、

肌もあらわなきらびやかなドレスに身を包んだ女たち、

目つきの鋭い黒スーツの男たち・・・

シャンパン、オードブル、フルーツ、花束、キャンドル、たくさんのご馳走。

その周りにもっとたくさんのウェイターとバニーガールが

忙しそうに飲み物を配ったり、皿を運んだりしている。



今夜あたしは狐目組二代目の襲名披露パーティに来ていた。

紋付袴姿でいろんな人の挨拶を受けるおじいさんの横で、

京さんとあたしは皆に挨拶をしていた。

あたしも今日は正装で、白地に片身代わりの墨ぼかし、

裾の流水に桜が散っているお気に入りの訪問着を着てきていた。

ふんわりとしたアップにしてもらった髪には、おばあさんの形見の

鼈甲の簪を挿している。おじいさんが誂えさせたものだそうだ。

人が途切れたとき、ふと広間の隅を見やったおじいさんの眼が、

わずかに細められたのにあたしは気がついた。

京さんもそれに気がついたと見えて、同じ方向を見やって、

少し顔をしかめたようだった。

で、あたしもさりげなくそちらを見てみると、

ひとりの男が広間の壁にもたれて立っていた。

客の相手をするために、広間には大勢のホストが呼ばれていたが

そう言う男たちと比べても、その男は目立っていた。

艶のある畝織の黒っぽい三揃えに、ダークグレーのサテンのワイシャツ、

同じくサテンのペールピンクのネクタイ・・・

ダイヤだろうか、きらきら光る石が一つネクタイに止まっていた。

左耳にだけピアスをつけていてそれもダイヤのようだ。

気障ったらしい奴だ。

それにしても、眼を見張るようないい男だった。

少し長めの漆黒の髪が緩いウェーブを描いて顔の周りに流れている。

顔の下のあたりだけ金色のメッシュが入っている。

意思の強そうなきりっとした太めの眉、黒目がちの大きな瞳は髪と同じで漆黒だった。

口元には下卑た笑みが浮かんでおり、それが美しい風貌に似つかわしくなくて

あたしは胸がざわめいた。

同じ色男でも、慎とはずいぶんタイプが違う・・・



京さんがついと離れてその男の方へさりげなく行き、何か話しかけた。

京さんは少し驚いたようだったが、小声で二言三言交わすとまた戻ってきて、

おじいさんに目配せすると、何事もなかったかのようにまた他の客たちと話し始めた。

それから、なんとなくふたりから離れたあたしは、挨拶したりされたり、

懐かしい人にばったり会ったりと、忙しくしていたせいで、

その男のことはすっかり忘れていた。

ふと気がつくと、あの漆黒の男が狐目のナンバー2ともくされている男の愛人に

話しかけているのが見えた。女は嫌らしい笑みを浮かべながらベタベタと男に触っている。

それが男の手管らしく、腰の辺りを抱きながら何か囁いては女に嬌声を上げさせている。

嫌な奴だ・・・

飲み直そうと広間の隅に設えられたバーへ行った。

喧噪の大広間から少し奥まったここは、明かりが落としてあって、落ち着いた雰囲気だ。

カウンターにすわるとフローズン・ダイキリを注文した。

普段はあまり飲まないのだが、なんとなくこの場に似つかわしいような気がしたのだ。

「ずいぶん、可愛いのを飲んでるじゃねえか。アンタには似合わないな。」

突然、隣から声がした。

あの漆黒の男が、隣のスツールに媚びたような笑みを浮かべて座っていた。

高価なスーツを着ていると言うのに、どこか自堕落な感じで粗野な動作が癇に障った。

ドライ・マティニらしいグラスを持っているのも気障ったらしくて鼻につく。

男は近くで見ると最初思っていたよりも若い。

慎より二つ三つ年上だろうか・・・

「何の用だ。」

「ご挨拶だな。可愛い顔が台無しだぜ。」

妙に気取った作り声みたいなハスキーボイスで耳障りな声だった。

「ふん。」

「アンタ、黒田のお嬢だろ。」

「それがどうした。名を上げたいんなら他をあたりな。」

麝香の香りがぷんと鼻につく。

男臭いのに妙に甘ったるいその香りは、男によく似合っていたが、

頭の芯がしびれるようで、あたしは好きになれなかった。

慎なら絶対にこんな香りはつけないだろう。

あいつには似合わない・・・

「ふっ、アンタの噂は聞いてるぜ。すんげー若いのをくわえこんでんだってなぁ。」

イヤらしい口調で男が言う。

「・・・」

「んな若造なんかヤメとけよ。オレが天国に連れてってやるぜ。」

「なんだと?」

「そのアンタの坊やが知りもしないようなすごいコト、やってやるって言ってんのさ。」

「けっ。さんぴんが・・・」

「オレに抱かれてみろよ。忘れられなくしてやるぜ・・・」

耳元で囁くように言われてゾクッと来た。

「・・・」

「オレは、松木潤一。潤と呼んでくれ。」

「それがどうした。」

「今夜お前をイカせるオトコの名だ。覚えとけ・・・」

熱い息が頬にかかるほどの距離で囁いてくる。

「へっ。おとといきやがれ。」

「強がってても威勢が悪いぜ。」

「・・・」

「おおっと、そう睨むなよ。怖ぇ怖ぇ。もう少し仕事が残ってんだ。

いい子で待ってろよ。」

「けっ。誰が。」

「はははは。」

下卑た笑い声を上げると、松木と名乗った男は去っていった。

嫌なヤローだ。

妙にぞくぞくするような色気がありやがる。

堕天使である魔王サタンは、人を惑わす美貌を持つと言う。

もしもいるのなら、あの男のような感じなのだろうか。

あたしは怖気を流すように酒を呷った。

それにしても、どこかで会ったような・・・?



夜も更けて。

大広間の喧噪は残っていたけど、あたしはさすがにくたびれて控え室へ戻ってきた。

今日、このホテルの最上階とその下2層分は関係者の貸し切りになっている。

広間のすぐ下の階はすべてスイートになっていて、有力者のための控え室になっている。

当然、黒田のための部屋も取ってあって、そこで一休みしようと降りてきたのだ。

おじいさんも京さんもまだ戻っていないようだ。

今夜はオールナイトかもな。

ちらとそんなことを思いながら、明かりもつけないまま、

用意されていたシャンパンでも飲もうかとグラスに手を伸ばした。

と、そのとき。

誰もいないと思っていたソファの背もたれの向こうから、

シャンパングラスを持った腕がのびてきた。

「アンタの瞳に乾杯。」

誰もいないと思っていたのでびっくりしたあたしは、

思わずグラスを取り落としてしまった。

幸い、割れてはいなかったので慌てて拾っていると、ソファを回って男が近寄ってきた。

あの漆黒の男、松木潤一だった。

ソファに寝そべっていた男に、全く気がつかなかった。

あたしとしたことが・・・

しかし、なぜか怒る気になれなかった。

松木はネクタイをだらしなく緩め、胸の下辺りまでシャツのボタンを外している。

プラチナのチェーンが鎖骨の上できらりと光った。

服装は崩れているのに、さっき見た時よりも品があるように思えるのは不思議だった。

案外育ちはいいのかもしれない。

松木はシャンパンをつぐとあたしに渡した。

「君の瞳に乾杯・・・」

チリン

グラスがあわさってそのまま見つめ合ってシャンパンを飲んだ。

窓から入る街灯りで男の顔がぼんやり見えた。

近くで見るとより一層色気が強調されてゾクッとする。

心なしか、寂しそうに見えるのがなんだか気になった。

麝香の香りが漂っている。

「ここで何をしている・・・」

「言ったろ。」

皮肉な口調が消えている。

「え・・・」

「アンタを抱きにきた・・・」

次の瞬間、ふわりと抱きしめられたあたしは、男の唇に自分のそれを塞がれていた。

「ん、んっ」

シャンパンの香りが口一杯に広がった。

なぜこの男の唇を知っているような気がするのだろう?

初めて会った男のもののはずなのに、その唇は蠱惑的で官能的で。

あたしは次の瞬間には思考を奪われていた。

甘く絡まる舌はあたしの官能を刺激し、くちゅという水音があたしの理性を奪う。

その陶酔はいつも慣れ親しんだもので、身体は自然に反応する。

麝香の香りに惑乱して気が遠くなりそうだった。

松木が唇をはなすと、お互いの荒い息が暗い部屋にひびいた。

間を置かず、今度は首筋から耳の辺りを唇で刺激してくる。

あ、そこは感じるんだ・・・だめ・・・

「なあ、オレの名前、呼んでくれよ・・・久美子サン・・・」

囁きながらますます強く責めてくる。

こんなことをされているのになぜ抵抗しないのか。

なぜこの男の腕の中が心地よいと思うのか。

嫌な奴だと、さっきは思ったはずなのに。

ああ、陶酔に溺れて気が遠くなる。

・・・

「なあ、ほら・・・呼べよ・・・」

名前?・・・名前は・・・慎?・・・いや・・・

「・・・潤・・」

「ふん、アンタ、好きモンだな・・・」

その言葉が恥ずかしくてかーっと頭に血が上った。

身体を弄っていた男・・潤の動きが速くなって、今度は身八つ口から手を滑り込ませ

背中を愛撫し始めた。

その感触にゾクリとすると同時に、お腹のあたりに熱く固いものを感じて、

はっと我にかえったあたしは潤を突き飛ばした。

そのまま泳ぐようにソファまで来て、へなへなと座り込むと両手を脇について

うずくまり、荒い息を整えた。

少し向こうに立ったまま、潤が言う。

「どうした?」

「もう、これ以上は・・・」

「なんで?アンタだってオレが欲しいんだろ。」

下半身を見せつけるようにぐっと突き出す。

あたしは力なくかぶりを振る。

「オレが欲しいって、言えよ・・・忘れられなくしてやるぜ・・」

その言葉が少し震えているような気がして顔を見上げると、

潤は先ほどまでとは打って変わって真剣な表情をしていた。

欲望だけではない熱を含んだ漆黒の瞳で、あたしをじっと見つめている。

なぜ・・・?

「潤・・」

「ほら、来いよ。」

手を差し伸べられてあたしは、催眠術にかかったようにふらふらと身を起こし、

その手を取ろうと腕を伸ばしたとき。

突然、慎が言った。

「こら、この浮気者。」

びくっとして辺りを見回したが、部屋には他に誰もいない。

潤を見ると初めて見る柔らかな笑顔で笑っている。

慎の笑顔にそっくりだ。

惹かれたのはだからなのだろうか。

慎がまた言う。

「何やってんだよ、お前。」

きょろきょろするあたしを見て潤はふんわり笑っている。

潤は、慎そっくりの声でくすくす笑いながら言う。

「久美子っ。お前、何やってんの?こーの浮気者っ。」

潤が近づいてきて、こつんとおでこをあたしのおでこにぶつけて慎の声で言う。

「久ー美子っ。」

本当に慎にそっくりだな・・・・

・・・・

・・・・

あれ?

あれれ?

あれれれ?

「って、えええええええええええ!!!!

おまっ!おまっ!なななななななんだーーーーー!!

その格好はあああああ!!!」

至近距離で叫ばれて耳を塞いだ潤を、いや慎を見ながら

あたしはあまりの衝撃に叫びっぱなしだった。

「ちょ、お前。落ち着けって、驚き過ぎだろ。」

「な、な、な、何やっとるんかぁーーーー!」

「言ったろ、今夜お前を抱くって。」

くすくす笑いながらそんなことを言う。

「だってだってだって、そそそその格好はなんじゃらーーー!?」

「まあ、落ち着けって。取り敢えず座ろうぜ。」

黒髪・漆黒の大きな瞳をした慎は、灯りをつけ、

それからシャンパンをついで持ってきてくれた。

それを飲んで少し落ち着いてきたあたしは、改めて眺めた慎の姿に見惚れていた。

自堕落な態度も粗野な動作も皮肉な笑みも消えて、

育ちの良さがわかる品の良い所作と、天使のような可愛い笑顔。

アイドル歌手みたい・・・

「変装して潜入捜査してたんだ。」

「へ?」

「さっきの、あの狐目組の女。あれを探ってたんだ。」

聞けば、浦目弁護士に頼まれて証拠集めをしていたと言う。

あの女が裏帳簿を利用して勝手に取引をし、

その金で高飛びするつもりであるとの情報を得て、

狐目のナンバー2がその証拠を手に入れて欲しいと

浦目弁護士に依頼した、と言うことらしい。

そう言えば、最近慎は浦目のところでバイトしてるんだっけ。

「だからって、なんでお前。」

「あの女、証拠を入れた金庫の鍵を肌身離さず持ってるんだよ。

んで、色仕掛けで頂こうって言うわけで俺にお鉢が回ってきたんだ。

流石に、普段のままの格好でやるのは危険だからな。変装したってわけ。」

「え、色仕掛けって。こらっテメェ・・」

「おおっと、何もしてないぜ。部屋にお持ち帰りされたところで酒に薬を入れて、

おねんねして頂いたからさ。誰かさんと違って、浮気なんてしてませーん。」

「・・・面目ない。」

「浦目さんは訴訟の準備をするみたいだけど、狐目組の方は

もうちょっと手っ取り早く話を付けたいみたいだったな。

俺は、やばいからって、これ以上は知らないことにしてあるけどな。」

「ふーん・・・」

またしばらく慎に見とれていた久美子は、気になっていたことを聞いてみた。

「なんだって、バーで声かけてきたんだ?」

「お前がひとりになるのを見計らって口説こうとしてた奴が、

少なくとも三人はいたんだぜ。見てられるかっての。」

「そーなのか?」

「無防備すぎだぜ、黒田のお嬢。アンタは有名人なんだからさ。

手に入れれば色々美味しい立場だし、絶世の美女だしな。」

わざわざ潤の声色でウィンクしながら言う。

////」

「で?どーして見ず知らずの男にされるがままになってたんだ?ん?」

「だって・・・」

「だって?」

「キス、慎としてるみたいだったんだもん・・・」

「そりゃま、俺だったんだし。キスからあとの手順はいつも通りだったし。」

「・・・ごめん・・・」

「感じた?」

「・・・」

「もういいよ・・・久美子の身体の方は俺だってわかってたみたいだし。」

わしゃわしゃ頭を撫でられた。

セットが無茶苦茶だ。

「それにしても、全然気付かなかったのか?」

「うん・・・」

「されるがままだったから、途中で気付いてゲームにのってくれたんだと思ってた。」

「・・・」

「なんかおかしいなーと思って名前呼ばせてみたら『潤』だもんなー。

傷ついたよ、俺は。この浮気者め。」

笑いながらほっぺたを引っ張られた。

「・・・ゴエンナハイ。」

「ははは、もういいよ。」

「・・・その変装すごいじゃん・・・どうやったの?」

「しおりちゃんとうっちーに協力してもらったんだ。

特殊メイクさ。眉を足してもらってまぶたもちょっと上げて

あとカラコン入れてんだ。カツラも眉も特殊な糊でとめてあるから

このまま風呂にも入れるんだぜ。」

「へぇ・・・うっちーすごいな。」

「いや、ほとんどしおりちゃんだけどな。」

「そっか。お前、変身してもいい男だなぁ・・・」

「そりゃどーも。お前に言われると嬉しいよ。この浮気者。」

おでこをピンと小突かれる。いた・・

「これ大変だったんだぜ。最初、しおりちゃんひとりにやってもらったら

ドラキュラみたいになっちまってさ。

直してくれって頼んだら今度は魔王みたいになっちまうし。

うっちーの頑張りでやっとここまで普通にしてもらったんだぜ。

三時間もかかったよ。」

その光景が見えるようであたしは吹き出した。

ひとしきり笑いあうと慎が言った。

「やっと笑ったな。さ、それじゃはじめよっか。」

「へ?なにを??」

「浮気のお・し・お・き♪」

慎は逃げかけるあたしを抱き上げた。

そのままずんずん部屋の奥へと連れて行かれてしまう。

「わっわわっ。」

「たーっぷり身体にわからせておかないとな。またこんなことがあったら困る。」

「え、え、え、」

「それに、お前のおかげでこんなになっちゃった身体をなんとかおさめてもらわないと。」

「ど、ど、ど、」

「スイートだからな。奥はベッドルームなんだ。

あ、組長さんと京さんは今日はここの部屋には帰ってこないよ。

さっき、大広間であったときに京さんが言ってた。」

「ええっ。」

「さ、行こ行こっ。脱がすの大変そうだな♪」

扉を開けると豪勢なベッドルームだった。

キングサイズのベッドがぼんやり浮かび上がっている。

「んー・・・」

「あ、ん・・・」

ばたんと扉が閉められて、ベッドに下ろされると、慎があたしの帯留めに手をかけた。




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久美子さん、魔王に魅入られるの巻。

黒慎ちゃんにSFXする赤慎ちゃんです。

ほんとうは、抱きしめられたときに身体では慎ちゃんだとわかっていたけれど

頭がついていかなかった久美子さんでした。

慎ちゃんはそれをちゃんとわかっているので、怒ってないのです。


2009.6.24

双極子


2010.5.11  UP 

投稿した後で気が付いたんですが、フローズン・ダイキリは呷れませんがな(笑)